993RSが我が家にやって来て、早10年の時が流れた。
元々は、レストアの途上にあったDino 246 gtsの穴を埋めるべく、
短期のピンチヒッターとして手に入れたはずのクルマであった。
ところが、このクルマとの出会いが、
その後のモーターリングライフに、予想だにしなかった輝きをもたらすことになった。
初めのうちは、一般公道のツーリングに連れ出して楽しんでいた。
当時は有り余るパワーとキビキビ感に打ちのめされていたっけ・・・
じきに公道で使い尽くす事が難しいクルマであることを理解するに至った。
楽しむ場がサーキットに移っていったのは自然な流れであった。
現在も某ホームページに残こる画像より
2001年9月、20年ぶりのサーキット走行会へ
結果、惨敗。 タイムアタックはビリ、、あり得ないほどダイナミックなコースアウト。
スピンマンなる、ありがたくない称号を戴くことになった。
1980年代前半までは、時折、FISCOを走っており、それなりの自信を持って参加しただけに、
この体たらくぶりには、さすがに参った。
2002年から筑波サーキット通いが本格化した。
12秒から始まったタイムは、クルマのブラッシュアップとともに5秒まで伸びた。
そして、2003年 Posche Paranoia CUP。
望外のトップタイム。
対戦相手が型式落ちの964勢が主だったとはいえ、トップが取れた喜びは大きく、
サーキットを攻略するということ、戦うということの楽しみに開眼してしまい、
レースの世界に飲み込まれていく、大きなきっかけとなった。
2004年
993RSが導いてくれたサーキット仲間との出会い。
偶然にも、ほぼ同時期にサーキット走行に、のめり込んだ爆発的にパワフルな仲間達。
993RSのおかげで出会えた仲間達と伴に、一気にフォーミュラレースにまで駒を進めることになった。
我がモータリングライフの中で最良の思い出となった日。
夢にまで見た、JAF公式戦のポールポジション。
これも、すべては993RSとの出会いがあったからこそ。
2004年以降、フォーミュラカーに活躍の場を奪われた形になった993RS。
その後の出番は、めっきり減ることになった。
時には、こんな往年の楽しみ方をすることもあったが・・・・・・
エンジンオーバーホール、ボディー・オールペイント、足回りの標準化、
バッケトシート、フルハーネスを取り外して内装の標準化。
結果、初期化を済ませたせいで、かつてサーキットで見せたキビキビ感が影を潜めてしまい、
すっかり、ガレージで惰眠を貪ることが多くなってしまった。
乗ってあげられるのが、年、たったの2回ではね。
The 2nd decadeは・・・・・・・・・。 Vielen Dank und auf Wiedersehen (;_;)