VW SCIROCCO TS
1976年、初めてのクルマがVWのScirocco TSでした。
わずか1470CCの70ps(DIN)エンジンでしたが、
車重がわずか800kgほどでしたので驚くほど軽快なクルマでした。
タイヤはピレリのCN36、タイヤ幅は175、
エンジンパワー、シャシ性能とのバランスを考えると十分な性能と言えました。
箱根の下り道は圧巻で、敵無しに近かったたと記憶しています。
もっとも、当時はまだ“峠族”などが出現する以前で、
峠をワインディングと称する変態ドライバーも、ほとんど存在していなかった時代の話ではありますが。
公権による取り締まりも弱く、いろいろな地域に公道サーキットが存在していて、
よく、夜な夜なタイムアックが催されていました。
都内では“田園サーキット”なる田園調布近辺の周遊コースが有名でしたが、
神奈川県にも、“ルマン”なるコースがありました。
米軍の相模原キャンプから座間キャンプに抜けて、相模川沿いに周回するコースで、
1周が16kmほどありました。
Range Roverで30年ぶりに座間キャンプ前の“ユーノディエールストレート”(苦笑)を訪れてみました。
当時はすべてが野ッ原だったのに・・・・・見る影も無いほど開発されてました。
ちなみに一枚目のSciroccoの画像は、この近辺で撮影したと思われます。
ユーノディーエールに入る手前で、ふと思い出しました。
ストレート手前のシケインで、現993RSオーナーの同級生Nがスピンを喫し、
農家の納屋に突っ込んで全損したのでした。
もちろんイリーガルではありましたが、まだまだ公道で
モータリングライフを楽しめた良き時代でありました。
親父が始めて購入した外車です。
アマゾンの中古とどちらにするか、かなり悩んでましたが、やっぱ新車でしょ!、という家族の意見に押し切られ・・・
蛍光黄緑の変わった色でしたが、すぐにアコードがそっくりで出てきて・・・でも、速さじゃ負けない、とか言ってました(血か?(爆))
ラフォーレ修善寺の私道で、おいらが生まれて初めて運転させてもらったのも、その車です。
まだ、バイクの免許すら持ってなかったのに・・(笑)
えぇ、14の夏の話です(遠い目)
アコードが出る前にnaru1家にSciroccoが棲んでいたとはホントに奇遇です。
75年、76年の輸入台数は、わずか350台です。
今時のフェラーリ、ベントリー以上に希少だったかもしれません。
ちなみに30年前の我が家のラインナップは
親父がボルボ264、お袋がビートルでした。
初めて運転したのは、やっぱり14歳の頃、
マシンはブルのサンスケ、正確には510ブルーバードのSSSでした。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~korotan/scirocco.htm
このメーターユニット、ゴルフ共通ですがウインカーの左右は分からなかったりするけど個人的には好きなデザインでした。
探したけど、、蛍光黄緑、、、が見たかったです。笑
インパネがゴルフと共通で、ウィンカーインジケータが左右一体なんてこと
どうして知ってんの?(@_@)
左右一体なのは、当時のビートルも同じなんです。
まっ、考えてみれば自分でウィンカーレバーを動かしてるわけで、左右を間違えるはずは無いから、
合理的といえば合理的なんですけどね。
昨夜25に見られましたが来月三十路です。。。。
ゴルフ1カブリオレ(あえてブリフェン無し一灯の前期)に一時期乗ってました。手動でクルクル回すサンルーフに憧れてゴルフ2にも乗ってましたので、このメーターには馴染みがありますね。最初はウインカー出したまま駐車して片側ライト付けっぱなしにしたことがありました。
デジカメなんて無かった頃のことだから・・・
蛍光黄緑はいい色でしたよ。
太陽の下では黄色、蛍光灯の下では緑に見えたので、2倍?楽しめました(笑)
我が家で始めての、新車輸入車だったので、
親父と一緒に洗ったり、思い出深い車です。
今年最初のミーはnaru1さん号納車ミーでしょうか。
蛍光黄緑の写真の方、デジカメ無い時代ですもんね。
見つかったら、いや、見かけたらウプしてくださいね~!