OG's Family Chronicle & Diary 
Formula H,AlfaRomeo 8C Competizione,996Cab,RangeRover
 



ヒグラシの声に包まれながらのランチ。
グリーンカレーにビール、至福の時を過ごしております。





 

 

のんびり過ごした後は、たくさんのゲストがお見えになりました。
ゲストその1、義弟家族4人、いつもヨットでお世話になっているので、そのお返しに軽井沢に招待!
ゲストその2、我が家の庭のデザインを偵察に来た従兄弟。
ゲストその3、来年からの庭づくりのプランナー、P.スミザー氏。
ゲストその4、軽井沢クルマ友達のta_tsuさん。

新棟、旧棟のテラスが満員になるほどの賑やかさ。
楽しいひと時を過ごせたことに感謝!!



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先週末は鵠沼のMariさんの実家へ
こちらに伺った際の密やかな楽しみが、昔のアルバム探訪であります。

 

今回も大発見!! 文字通り、セピア色に変色した画像の中に、
うっすらと2台のクラシックカーが映っているではありませんか。
うちに帰ってからスキャナで読み込み、画像を蘇らせてみると・・・・


 


1920年代のロールズロイス・シルバーゴースト・ドロップヘッド。
中央に映っているのがMariさんの祖父。
写真の裏には「1928年、サラチガの友人の別荘からスマランへの帰途」との記載。

サラチガ、、現代表記にするとサラティガ、、
サラティガ、スマラン、ドライブでググッてみると
何と、今でもポピュラーなドライブコースであることが分かります。

今を遡ること83年前に、Mariさんの御祖父様は
インドネシアをドライブしてたんですねぇ (*_*)

Mariさんのインドネシア好き、アクティブな性質、
すべては歴史に運命づけられていたと思うと、
なかなか感慨深いものであります。


さらに、驚かされたのが、この写真。
やはり昭和初期の神戸のMariさんの実家。
細長いリビング、葦簀(よしず)張りのような天井、
フルオープンの窓、正面左奥のニッチ、、、

軽井沢の新棟との共通性が、あまりに多くて気持ち悪いくらい。
さらに言えば、撮影の際の景色の切り取り方まで
Mariさんのスタイルに共通するものを感じました。

連綿と続く、血縁、家族の歴史、或いは抗いがたい運命のようなものに、
ある種の畏れにも似た感動を味合わせていただいたのでありました。



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空が茜色に染まる頃を見計らっての都心ドライブ。

コースは井の頭通り、甲州街道、環状5号、表参道、青山通り、外苑、首都高。
一言で申し上げれば、“涙もの”の感動を味わうことが出来ました。
わずか20数キロの街乗りドライブにもかかわらず、
なぜか十分にイベントフルな感覚が味わえるのは
イタリア車の成せる技なのかもしれません。

エンジンの咆哮は出自を完全に包み隠していて、FerrariともMaseratiとも異なる歌声で、
なぜかやはり、ノルド系の4気筒ロメオを想起させる音程であることが摩訶不思議。
ナラシ中なので高回転を試すには至りませんが、
それでも、3~4000rpmの噎び泣くような天使の歌声がキャビンに木霊する瞬間は
ちょっと涙腺がゆるみそうなほどでありました。 

シングルクラッチのロボタイズドMTはAutoモードでも、
十分に実用に足る仕上がりで安堵を覚えました。
ギアーを落とすごとに、強力なGが立ち上がるエンジンブレーキも秀逸で、
この点はPDKより、はるかに好ましく感じました。

軽やかな動きを見せる足回りの出来は信じ難い程ソフィスティケートされており、
996乗りのMariさんも、その快適さに驚嘆の声をあげておりました。

首都高を、それなりのスピードで流してみると、僅かにフロントの接地不足を感じましたが、
ロメオたる物、電制装置オフを前提に設計されているに違いないので、
電子制御オフ、前輪荷重を十分に架けて、ゼロカウンターで振り回した印象を
また改めて報告したいと思います、、数年後かな? (笑)

以上、拙い1stインプレでありますが、
手に入れて良かった、と心の奥底よりおもったことを申し添えて、今宵の結語にしたいと思います。



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Otto C  


今宵は、我が家に天使が舞い降りたかのような気分で書いております。

思い返せば、本当に長い憧れです。
はつ恋は1967年10才の時、場所はたぶん軽井沢の塩沢辺りだったでしょうか。
ジュリアの咆哮は、あまりに鮮烈でした。 画像は10才のσ(^^)

 



時は流れて10数年後、自動車好きな母親からの薫陶を
素直に受けた私は真っ当な自動車青年に成長しました。

 

当時のイタ車といえば、少なくとも洒落者が乗るなどというイメージは微塵もなく
ただの変わり者に偏愛されるような代物でしたので、
ほぼ新古車といえるようなタマが新車価格の半額で手に入るのでありました。
画像は23才のσ(^^)



諸事情からロメオを手放さざるを得なくなったあの日。。
ガレージに篭って、私は誓ったのでありました。

「今宵は別れざるをえないが、いつかかならず、
           このガレージにロメオを再び収めてみせようぞ・・・・・」

1981年夏の夜のことでありました。



ああ、あれから、ピタリの30年。
ついに、その日がやって来たのであります。
我が家のガレージにロメオ (当時のアルフィスタは“アルファ”なんて呼び方をしなかった) が帰ってきました。
ボディもダッシュボードもシートも、ぜ~んぶカーボン製の変なロメオ。
ちょっとモダン過ぎるし、大きいし、クラッチペダル付いてないし、クルーズコントロール付いてるし、
そもそも、クルマそのものの出自がロメオじゃないし。。^^;





でも、私にとってはロメオという響きが大切ですし、
コーダトロンカの美しすぎるテール、
表現する言葉が見つけられないほど魅力的な
フェンダーラインとウインドーグラフィック。
デザインは、まごう事無き、自分のイメージ通り、
まさに、ロメオの天使なのであります。

Mariさんはコーダトロンカのことを、
「ロメオはみんな尻切れトンボ!」などと悪口を言ってますけどね。(笑) 



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