周期的に矯正期に入ると言うか、クルマから距離を置くために、
悪足掻きをする時期があるみたいです。
“a passion for car”
フォーミュラ隼仲間のブログです。TBを受け付けてないみたいなのでLINKしちゃいます。
彼のバイオグラフィーを見ていたら、共通点の多いこと。(爆)
σ(^^)も1980年にSAAB 900 turboに乗り換えました。
その前に乗っていたのが、1976年製のAlfa Romeo Spider。
最後の高公害モデルでウェーバー付き、もちろんエアコンレス。
当時、国家資格試験がひかえていて、このままクルマオタクを続けていては
合格も覚束ないと考えて乗り換えたのでした。
しかし、カタギの生活も一ヶ月でした。そのころは禁じ手だったブーストアップチューンを施して、
気が付いたら、流行だった国道246号の青山シグナルGPに参加してました。
でも、所詮ファミリーカー、6ヶ月で飽き飽きして手放しました。
次にFIAT 131 racingに乗りました。1981年のことです。名古屋の早瀬モータースを通じて
アルクァッティのパーツを輸入してチューンしました。
旧FISCO、旧どころか、まだAコーナーもBコーナーも無い頃のですが、
よく出かけました。出たばかりのスカイラインRS(2L、4気筒、16V)が好敵手でした。
1コーナーで、何度か横転しそうになり、止めました。
結婚を期に、FIATを売り飛ばしました。サーキットで酷使したためか、
コンプレッションも落ちてガタガタでしたが、CGのユーズドカーガイドで高値で買っていただきました。
次に乗ったのがボルボ240turboでした。(クルマを辞めたつもりでした)
しかし、その直後から閉所恐怖症を発症てしまいました。
クルマを我慢していることが、ストレスになって発症したような気がしたので、
ポルシェに乗り換えることにしました。(爆)
そして、ミツワの中古車センターで出会ったのが1987年製の930でした。
たった、225馬力でしたが、速さ感?では993RSを上回るほどでした。
東京~熱海の通勤に使い、3年間で9.9万キロ乗りました。
あとちょっとで10万キロというところで東名で遭えなく爆死。
東名を3時間ほど通行止めにしてしまいした。
その時には、すでに2人の子持ちになっていたので、これではイカンと決意して、
出たばかりのメルセデスのC280に乗り換えました。やっぱり悪足掻きだったんですけどね。。。
続きはいずれまた。
ボルボが1年落ちで、ディーラー中古車。
C280は新車だったけど、
考えてみれば、25年経っても、クルマの買い方は変ってないわなぁ。
おいらも振り返ってみました。
BMW320、サニーカルフォルニア、MR2、ソアラ、MB500SL、MB560SL、MB300CE、チェロキー、ローバ114、レンジ、ローバ620、964、3rd・・・
えぇ、節操なしです・・・orz
僕の場合、これに足グルマのキャデラックが3台加わりますからぁ~
さらに節操ない事おびただしいです・・・OTL