勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

初彼岸

2014-03-21 23:29:10 | Weblog
 「暑さ寒さも・・・」などというが、春分の日の今日は、春の陽射しが降り注ぐ晴れ上がったいい天気ではあったが、冬が舞い戻ったかのような北風が強く寒い日だった。これを寒の戻りというのだろうか。

 2か月前に急逝した甥の初彼岸でもあり、兄弟揃っての墓参りに行った。姉に駅まで車で迎えに来てもらうため、末弟の都合に合わせての時間を約束をした。あと10分ほどで駅に着く頃、車内でスマホに夢中になっていると、突然メールが入った。姉からかと思いながら開いてみると、次のようなメールである。


 訳もわからず顔を上げて、焦点の合わない目で前を見る。少しの時間のあと、女性の間に座っているマスクをかけた男を見て思わず「あぁ~」と声を上げた。そこに座っていたのは一緒に姉の車に乗ることになっていた弟である。彼は途中駅での乗り換えでこの電車を利用するのだ。


 実家から歩いて数分のところにある墓は、秩父連山を望む風光明媚といえる静かな山村である。子供のころ、この墓地に咲く桜並木が家から春霞のように見えていた。


 墓地からほど近い場所をローカル線の電車が走り、子供のころはガソリンで走る一両編成の電車をガソリンカーと呼んでいた時代もあった、思い出深く懐かしい場所でもある。


 電車の向こうに見える山並みの真ん中に、先の尖った山がある。この山を乳首山と呼んでいたが、正式な名前は知らない。調べてみると、乳房山とも呼ばれていたらしいが、正式名を笠山であることをはじめて知った。


 アップにすると、まさしく乳房のような山である。強い北風が吹く中での墓参りは「♪マッチを擦れば おろしが吹いて 線香がやけにつきにくい」と、あのすぎもとまさとさんの歌「吾亦紅」の世界である。今の時期、吾亦紅の花がさらさらと揺れるはずもないが、膨らみ始めた桜の蕾がさらさらと揺れていた。

 墓には、甥の他にその父親と甥の祖父母(僕の両親)の4人が眠っている。甥のひとり息子は小学4年生。今日はメンバーが9人しかいない少年野球の試合があり、会うことはできなかったが、学校で書いたという彼の手紙を見せてもらい、ホロリとさせられた春分の日でもあった。