小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

光クラブ事件

2008-09-26 01:47:50 | 考察文
青の時代

私は三島由紀夫の作品で特に好きなものに、「青の時代」がある。あれは戦後に起きた「光クラブ事件」および、その事件を起こした山崎晃嗣をモデルとしている。三島由紀夫は小説として、かなり正確に描いている。
最も、正確に言うなら、あの小説が好き、という以上に山崎晃嗣という人間に私は非常に魅力を感じるのである。もちろん世間では彼を悪い人間と言うし、また事実そうである。
しかし私の感じたのは、とてつもない人間という魅力である。
現在の犯罪は、論理もなければ信念もない、ただ感情の赴くままのくだらないものばかりである。
しかし彼は違う。彼には論理があり、信念があり、哲学がある。
東大法学部に在籍していた彼は全科目で優を取ろうと本気で思い、必死で勉強し、そして実際にほとんどの科目で優をとってしまっている。
彼は、自殺することが契約不履行を法的に正当化する、と言って自殺した。
これは、当たり前の事だと思う人も多いと思うが、そうではない。
江戸時代では百姓は土地から逃げたり、一揆を起こしたら、その罰は、その人だけにとどまらず、連座制によって、親族やグループまで処罰された。もちろん、これは徳川幕府がつくった狡猾な法ではあるが、法には違いない。明治維新によって日本は法治国家となり、近代法も相当、妥当なものに変わった。
また、現代においても自殺して責任放棄したら、死後その人の生前の良い点まで剥奪する、という事だって、決して滅茶苦茶な理論ではなく、かなり妥当な考えである。しかし現代において、そういう法律はない。現代の法では、自殺したらその人にはもう責任はない。さらに言えばその人は自殺したことによって犯罪の責任をとった、と考えてそれ以上、責めないのである。
また、彼の遺書もすごい。これほど理性的な人間はいない。
また、遺書として、ちょっとふざけ気味の面も感じるが、辞世の句までつくっている。
大正生まれの古い人間にしか、こういう事は出来ない。
もちろん、彼の実際の人生は、全てが論理で統一されているわけではない。矛盾や感情で行動している面だってある。
しかし、それを割りひいても彼は論理と哲学を持った人間である。
私は、犯罪において、こういう人間はもう今後、絶対、出てこないと確信している。
ちなみに私はライブドアのホリエモン程度の人間には全く魅力を感じない。規模がやたら大きいだけで、彼には山崎晃嗣ほどの論理も哲学も無い。

小説としては、ひしひしとカント哲学を感じた。
そもそも、小説の前の序文からしてカント哲学そのものである。
三島の金閣寺にしてもそうだが、三島はかなり、認識と行動の問題を小説で論じている。三島は意識してか、しないでかはわからないがカント哲学が根強く頭にあったのではないだろうか。少なくとも結果としてそうなってる。

ちなみに人の一生を小説にするという教養小説が私は好きである。
岡田有希子さんの一生をモデルにした拙作、「ある歌手の一生」も、この「青の時代」のテクニックがかなり参考になった。

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