活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

縁起の法2

2017年02月28日 | 法理

私たち衆生の出生をみても「無目的」に生まれて来ています。

「不知不識生」にです。

 

なんの意味付けも意義付けもなく、こうして話をし、坐り、

食べ、笑ったり、泣いたりしています。

 

完全に「そのことがそのことで消滅」しながら「生活(活動)」

しているのです。

 

過去も現在も未来もそうです。

ですから言ってみれば、その時その事が結果としてそれ以外

どうすることも出来ないこととして行われているということです。

 

ですから遠くの方に、遠くの未来とかに目的を持ったり

意義付け意味付けしたりすることは、あってはならない

ことなのです。