活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

因果を考える1

2017年02月14日 | 法理

この因あれば、この果がきっとあるのです。

我々はどうしてこういうものになったのか、

必ずその因って来る処があるのです。

 

各々にその因があるのです。

そしてその間に 「宇宙」 がみな来ているのです。


「縁」 というものは、「宇宙」 です。

宇宙と共に因と縁と合して、この結果が生じているのです。

 

私たち衆生は何処から来たのか。

ここから来たのです。

 

ここから来たというのは結果です。

結果には必ず因があるのです。

 

因というものは、しまってあるものではありません。

因、そのものが結果となってきているのです。

 

「因が結果」 と名を変えて来ているだけなのです。

結果を見たら因は分かります。

 

そこで本当に因果が分かったならば、こういう因果を

妨害することは出来るものではありません。

 

何故因果を 「撥無(はつむ) 〈払い除きなくする〉」 するか

というと、彼方の相手を認めるからです。

 

道歌に、

「何者がもっとも苦し、ものを隔てる最も苦し」

と。

 

宇宙は一つものです。

この結果については宇宙総がかりの縁がなければ

果は出来ないのです。

 

宇宙総がかりで太陽を始め、所在天体、所在地球上の

事象が総合して、始めて我々の結果は出来ているのです。

 

それが分からないから、何をやってもいいという、

このことを聞き損ねるとそうなるのです。

 

その本来の本性に徹すれば悪いことは出来ないという

ことを見てとらなければなりません。