活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

六根まかせ2

2017年02月04日 | 法理

しかし、出て来るのを出て来ないようにしようという事は

行ってはいけないのです。

 

何故かというと、それは 「六根の機能」 を停止しようと

するからです。

 

「機能」 を停止しようとするのではなく、「機能」 を

純粋にするだけなのです。

 

「私(わたくし)しない」 ということは、機能が機能としての

純粋性を純粋のままにしておくことなのです。

 

別の言葉で言えば、自分の都合ですべての働きを見て

批判したり、いろいろなことをするのを止めることです。

 

その事が自分の必要性で動いているのか、考え方で

動いているのかよく 「見極める」 といいと思います。

 

「目の前の物」 が 「機能」 に対して、考え方をもって

「機能」 を取り扱っているのか、それとも、「目の前の物」 が

「目の前の物」 であるということなのか、そういう「区別」は

知ってもらわなければなりません。

 

道元禅師曰く、

「知解(ちげ)の路に向はざらしむ」

とあるように、考え方の道(知解)に向かっていっては

決着はつかないのです。

 

考え方の道に自分を向けないようにするということが

「此の物の本質」 を見る 「道」 なのです。