活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

奉仕

2017年02月05日 | 法理

「縁」 に対して、すべてのことがあるということを見、

向こうのもの(環境)を相手にして考えてみれば

「此の物」 が向こうのものに対して動くということは

向こうのものに対しての 「奉仕」 です。

 

その 「奉仕」 は自分で 「奉仕」 しようとしたのでは

ないのです。

 

「眼」 をもって向こうに 「奉仕」 して、向こうのものを

「眼」 にに受けるというようなことではなしに、

いつでも実現するのです。

 

そういうようなことを人間(にんげん)がただ両方を

認めて考え、取り扱っただけで 「眼自体」 は何も

知(識)らないのです。

 

向こうも知(識)らずに行われるのです。

「自分の眼」 で 「私」 が見ているのだということでは

なくて、「眼の単独な働き方」 なのです。

 

そこに 「此の物」 の純粋な 「奉仕」 ということがあるのです。

 

「六根を六根のまま」 にその 「六根の一つ」 でも、「自分」

から使っては駄目なのです。