活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

因縁生法(いんねんしょうほう)2

2017年02月11日 | 法理

人間(にんげん)の考え方を思い切って手放せば

「自分の真相(因縁によって、ただ一々が活動する

ように出来ている)」 が分かるのです。

 

もう少し説明を加えますと、仏教では

「六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)」 で 「意(心)」 を、それに対して、

「六境(色・声・香・味・触・法〈しきしょうこうみそくほう〉」 で

「法」 を対称として示しています。

 

「意(心)」 というのは、どういうことかというと、どうもしないのに、

どうも思わないのに縁に触れれば(向かえば)自然(じねん)に

知らず識らずに動くように出来ているのです。

 

それが 「法」 なのです。

それが現在の私たち衆生の姿なのです。


他へ尋ねて行くとか行かないとかいってみたところで

どうしようもないように出来ているのです。

 

「自分の真相」 とはそういう絶対性なのです。

このことはあまりにも明瞭(簡単)過ぎるものなので

多くの人は信じられないものなのです。

 

それでとかく他を追いかけて(求めて)いくようになるのです。

 

「此の物(六感)自体」 は始めから 「此の存在自体」 が

「法」 としての存在なのです。

そういう成立なのです。