活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

因縁の法を考える2

2017年02月26日 | 法理

ところが、「自由」をもう一つ飛び越えてみれば、

今度はどんな約束(規則)の世界へ放り出されても

何も別に問題はありません。

 

これが「大切」なのです。

みんな「自由」というと、勝手放題なことが「自由」だと

ばかり思っています。そうではありません。

 

どんな世界に入っても「平気」でいられれば何の「心の動揺」も

なければ「矛盾」も起きてこないのです。

 

しかし、「何か自分」に一つの特殊な考えを持っていると

それがすぐに中心になるから、こんなつまらないことは

嫌だということが出て来るのです。

 

そうするとそれが「苦悩、煩悩」を起こすのです。

それさえなければ「問題」はないのです。

ですから、私たち衆生が「自分の真相」を本当に知(識)れば

楽になります。

 

そこで、「今の因縁」というのは相集まって組み立てられた

ものですから、「其の物」は暫定的にある時間、ある空間という

「ものの約束(規則)の範囲(因縁の法)」に留まっているのが

「物の存在」ということになるだけのことなのです。