活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

不昧因果4

2017年02月19日 | 法理

「死を成功」と見る宗教は仏教以外にはありません。

「死の時」に極楽を求めるということは矛盾なのです。

「死そのものは死なない」のです。

 

道元禅師は、

「この生死はすなはち仏の御いのちなり、これをいとひ

すてんとすれば すなはち仏の御いのちをうしなはん

とするなり」

と、戒めて居られます。

 

道元禅師の歌に

「面白や 散る紅葉ばも咲く花も おのづからなる 

法(のり)のみ姿」

と。

 

死は宇宙間の活動にして死なくんば生なし、病人が健康に

復するのは病人が死するからです。

 

野蛮が死ぬから文明が生まれるのです。

要は人生観の極致は、境遇は真理なり、それぞれに安住して

心を動かさざること大山の如く、ただ適材を適所に用い

努力すればそれでよいのです。

 

「禅」の二字は、「単を示す」の二字から成り立っています。

努力とは「単に成る」ことです。

単に成って「努力」することです。

努力ばかりに成って己れを忘ずる標準が「坐禅」なのです。