活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

仏教を考える 9. 言葉

2015年04月25日 | 仏教
修行の真偽は、実に「法(道)そのもの」が求められているか否かによって決まります。

何故「法(道)そのもの」が求められないかというと、【仏教と「法(道)そのもの」とを、混同している】からです。


ダルマ大師が黙って九年間坐られた事も、「無我、空、悟、無」も全く同一のものであって、只、言葉がそこに介在しているか否かの差があるだけだと考えられる節があります。

この混同上に立つと、【仏教の中に真意や究極を見、「法(道)そのもの」が仏教の一部であるかの如く見誤って】しまいます。


そもそも、「言葉」とは事実を表現するものではなくて、事実を我々がどう見ているかという事実に対する我々の見方を表現したものです。





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