“人” が生じる以前に森羅万象(しんらばんしょう) は、既にありました。
“人” が生じる事によって、その森羅万象を認識の対象にしたのです。
そして、“人” が認める事によって「自然(しぜん) 」と、名付けたのです。
山川草木それ自体は、自然(しぜん) 、不自然(ふしぜん) という
あり方はしていません。
“人” が只そう名付けたという事です。
仏教では「人が生じる以前」「人が認める以前」の、自ずから
道理にかなっていることを「自然(じねん)」といいます。
自然(しぜん) は、自己を認める事によって、一切のものが生じた
と、しているのです。
それと同時に、すべてのものを人が認識し、名付けた事によって
自分との隔たりが生じたのです。
あたかも自分の名付けた物によって、自分が混乱させられているように
思うことがありますが、それは全くの間違いです。
その問題を生じせしめているものは、自分自身なのです。
おシャカ様の教え(無我の教え) の「自然(じねん)」と、
六道(りくどう) の衆生の「自然(しぜん)」とは、比較になりません。
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