「方向指示としての仏教」という、仏教本来の役目を知る為には、仏法の説かれ方に注目する必要があります。
何故、おシャカ様は「四十九年一字不説」と言う説明で説法を了えられたのでしょうか。
何故、一切習学を否定し、絶学へと指導されているのでしょうか。
説法においては、常に説明内容ではなく、説明という事が一貫して問題とされている事に注目しなければなりません。
【説明された総ての内容が、もう一つ高い次元から否定されている】という事です。
言い換えれば、仏教は無常、無我、涅槃という「法(道)」の説明内容のみで成り立っているのではなく、「四十九年一字不説」と言う説明で説法を了えられていますので、そのものの否定をも含めて成り立っているのです。
ですから、仏教とは、全体として見ると自己矛盾的、反語的に説かれているという事も言えます。
「四十九年一字不説」の一語によって、妄想、分別、我見から離れ、総ての苦悩から救われ、方向指示という本来の役目を完全に演じていることにもなるのです。
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何故、おシャカ様は「四十九年一字不説」と言う説明で説法を了えられたのでしょうか。
何故、一切習学を否定し、絶学へと指導されているのでしょうか。
説法においては、常に説明内容ではなく、説明という事が一貫して問題とされている事に注目しなければなりません。
【説明された総ての内容が、もう一つ高い次元から否定されている】という事です。
言い換えれば、仏教は無常、無我、涅槃という「法(道)」の説明内容のみで成り立っているのではなく、「四十九年一字不説」と言う説明で説法を了えられていますので、そのものの否定をも含めて成り立っているのです。
ですから、仏教とは、全体として見ると自己矛盾的、反語的に説かれているという事も言えます。
「四十九年一字不説」の一語によって、妄想、分別、我見から離れ、総ての苦悩から救われ、方向指示という本来の役目を完全に演じていることにもなるのです。
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