活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

仏教を考える 4. 方向指示としての仏教

2015年04月20日 | 仏教
仏教が何故説かれるに至ったかと申しますと、是れは【「法(道)」そのもの】と言う事が非常に把握しにくいからです。

しかし、「法(道)」というものは、把握出来たり、理解されうるものではないので、まさに当然ではありますが。


「事実が存在して、その事実は必ず知り得るもの、説明できるもの」と言う強い先入観の上に立つ人には【「法(道)そのもの」がそのもの】として全く受け止められませんので、「法(道)」を求める事はあり得ないのが現状なのです。


そこで、その問題解決の一策として、仏教が説かれたのです。

仏教は「月を示す指」「方向指示」として、「法(道)そのもの」とは何であるか、どこにあるのか、その方向指示という機能を果たしているのです。


仏教は、「法(道)そのもの」ではなく、その代理品(事実そのものではなく、事実の説明)にしか過ぎませんが、「方向指示としての仏教」という点に着眼しなくてはならないのです。




精神世界ランキング