人間(此の物) の「眼、耳、鼻、舌、身、意(こころ)」は「色、受、想、行、識」の道具立てで構成されています。
みんな器機、機能で構成されていますから、そのもの自体には考える力がありません。
例えば、眼で物を見ると言いますが、眼は分別する道具ではありません。
又、「味わい、熱い、冷たい」が分かるという事でも、機能の働きには分別するものは持っておりません。
例えば「舌の上」に辛いものを乗せても、舌には甘いとか辛いという事を分別する道具ではありませんから、舌自体は辛いとも甘いとも言いません。
そのようにして、人の体というのは全部道具と同じようにそれぞれの働きが無いのです。
すべてがそのように集まってきていますから、自分のうまれた事も、自分の死ぬ事も分からないのは当然の事なのです。
人間(此の物) の「意(こころ)」の働きもまた、分別する道具ではありません。
【それだけのものでしかない】という事です。
人の体は何に因って好きだ、嫌いだ、美味しい、美味しくないというものが働いているのだろうかと、問題になっていかなければならないところです。
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みんな器機、機能で構成されていますから、そのもの自体には考える力がありません。
例えば、眼で物を見ると言いますが、眼は分別する道具ではありません。
又、「味わい、熱い、冷たい」が分かるという事でも、機能の働きには分別するものは持っておりません。
例えば「舌の上」に辛いものを乗せても、舌には甘いとか辛いという事を分別する道具ではありませんから、舌自体は辛いとも甘いとも言いません。
そのようにして、人の体というのは全部道具と同じようにそれぞれの働きが無いのです。
すべてがそのように集まってきていますから、自分のうまれた事も、自分の死ぬ事も分からないのは当然の事なのです。
人間(此の物) の「意(こころ)」の働きもまた、分別する道具ではありません。
【それだけのものでしかない】という事です。
人の体は何に因って好きだ、嫌いだ、美味しい、美味しくないというものが働いているのだろうかと、問題になっていかなければならないところです。
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