世界の宗教の全ての修行の目的が、自力他力の別なく一切の有形無形の世界と同化するという事だと、示されるならば、それは「道」というべきだと思います。
「道」は人間(にんげん) の日常生活の全てです。
人の力や何物かの力を借りて問題の解決を図るのではなく、法則に素直に任せていく事が大切なのです。
「道」という言葉に囚われると、何か特別な修行をするように考え勝ちですが、そういうものではありません。
六根(眼、耳、鼻、舌、身、意[こころ]) の働き全てを「眼」という言葉で表現すれば、此の物(自分自身) の働きは「眼」そのものです。
「眼」は綺麗だとか、汚いとか言う判断をするものではありません。
【只、映すだけ】です。
耳も、鼻も、舌も同様です。あらゆるものが六根(眼、耳、鼻、舌、身、意) の働きを縁にしているのです。
自分の心の中で好きとか、嫌いとか分別を起こすのです。
ですから「意(意識)」は分別を起こす【道具】にすぎないのです。
自分自身(此の物) は、一切の有形無形のもの(此の物) を正しく見る「眼」そのものだという事です。
精神世界ランキング
「道」は人間(にんげん) の日常生活の全てです。
人の力や何物かの力を借りて問題の解決を図るのではなく、法則に素直に任せていく事が大切なのです。
「道」という言葉に囚われると、何か特別な修行をするように考え勝ちですが、そういうものではありません。
六根(眼、耳、鼻、舌、身、意[こころ]) の働き全てを「眼」という言葉で表現すれば、此の物(自分自身) の働きは「眼」そのものです。
「眼」は綺麗だとか、汚いとか言う判断をするものではありません。
【只、映すだけ】です。
耳も、鼻も、舌も同様です。あらゆるものが六根(眼、耳、鼻、舌、身、意) の働きを縁にしているのです。
自分の心の中で好きとか、嫌いとか分別を起こすのです。
ですから「意(意識)」は分別を起こす【道具】にすぎないのです。
自分自身(此の物) は、一切の有形無形のもの(此の物) を正しく見る「眼」そのものだという事です。
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