活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

諦める と 明らめる

2015年04月09日 | 法理
広辞苑を繙くと

ア、諦める (「明らめる」2 の意から) 思い切る、仕方がないと断念したり、悪い状態を受け入れたりする

イ、明らめる 1ー 明るくさせる 2ー 事情などをはっきりさせる

と、記されています。


諦めるの語源は今から2500年以上前におシャカ様が最初に説かれた、四つの真理、四聖諦(ししょうたい) 、四諦(したい) に拠るものです。

その中で因果の道理を説明し、実践する為に八正道(はっしょうどう) を示されました。

諦めるとは、「因果の正体」を見極める事なのです。


明らめるの語源は四聖諦の最初の「苦」の生じる原因を “明らか” にする事。

その原因は「無明(むみょう)」、「人間が真理を知らない事」と説かれたのです。


今つくづく思う事は、この “諦める” という言葉を語源から “明らめる” 必要性があるのではないでしょうか。

「自己の正体を見極める」とは「自己の正体を諦める」事に他なりません。


これをおシャカ様のお示しでは「一大事因縁」と言います。

大事とは広辞苑に拠れば、「大事」の 2 で(一大事の略) 「出家して悟りを開くこと」と、はっきりしるされています。


いつの間に、不知不識の内に、この「一大事因縁」という事が忘れ去られてしまっているように、私には思えてなりません。




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