さて、途中下車のカステロベッロ駅から
次の電車に乗って更に山を上っていく。
車窓には、りんご畑と深い森。
そして切り立った雪山がどんどん間近に迫ってくる。
いくつかの小さな村を通過し、終点マッレス駅へ到着。
その先に広がるのは山と草原。。
そこからバスに乗り換えてさらに奥へ。
昨日行った鐘楼の建つレジア湖へ。
え?また行ったの??とお思いの方もいるだろう。
はい、行きます。何度でも。
そこに美しい光がある限り。
昨日はそこまで晴天というわけではなかったし、
山間の日没はずっと早く、
あっという間に山の陰に日が隠れてしまって、
思うような光でなかったのだ。
写真は一瞬の出会い。
その出会いは偶然であるから輝く一瞬だと分かっていても、
どうしてもその一瞬を貪欲に求めてしまう。
日頃、まっいっかと実にあっさり生きているほうだけど、
(もっとがんばれとも我ながら思うけど)
こと写真に関しては実に貪欲でしつこく、
こんな自分もあったのかと思ったりする。
とにかくである、
旅を延長した晴天の一日を、
昨日のあの景色にリベンジしたのである。
青空を映して昨日よりも青く輝く湖面。
明るい陽を受けて燃える紅葉。
輝く頂上の雪、太陽。
そこに見える全ての景色
美しい地球。
美しく雄大な自然に包まれて
穏やかな気持ちになって辺りを歩く。
よくあるささやかな景色にも涙が出そうになる。
溢れる光
それに向けて全てのもが手を広げる、
草木、水、山、空、空を泳ぐ雲、
この地球にある生命、それがある理由、
その答えが今、目の前にある。
私も習って、そっと手を広げる。
生かされている、
私は生かされている。
この森が、山が、湖が、
たくさんの偶然と必然の織りの中で、
そこにあるものとして存在するように、
私も今ここに立って、ここにあるものとして存在しているんだ。
たくさん傷ついた。
私の存在を否とするものに対抗する事も出来ず
心を固くして必死で身を守ろうとした。
でも本当は誰も傷つけようとなんてしていなかったのかも。
それは、時に強い風に折れる枝のような、
強い雨に削れる山のような、
日が陰れば輝かない湖のような、
そういうことだったのかもしれない。
もうやめよう、傷ついたことにこだわるのは。
でも手を広げて初めて分かる、
私自身がぽろぽろと欠けた身であることを。
探すんだ、亡くした私の欠片を。
それがこれから私ができること。
やるべきこと。
大きく空を見上げて、帰りのバスに乗る。
車窓を眺めながらふと思う。
亡くした欠片を探す事は、旅する事に似ていると。
だから私は無意識に旅をしていたのかもしれない。
車窓の景色に思わずバスを降りた。
夕日を明るく照らした紅葉に
丘にぽつんと建つ教会。
のんびり草を食む牛に、
遠くに見えるお城。
傾く日の光が引く影の美しさ。
今日一日が平穏に終わる事の至上の美。
数枚写真を撮って振り返って愕然とする。
ひよーん、、ただ風が吹く平原はどこまでも平原。
あれれ、もしかして、町の一つ手前だと思って
衝動的に降りたここは、随分手前??
次のバスは1時間後。
どうだろう、歩くが早いか。。
とりあえず歩いてみる
ガシガシと革のブーツがぬかるむのも気にせずに。
ガシガシガシガシガシ。。
遠くで牛が振り返る。
変な人間を確認して、興味がなさそうにまた草を食む。
人の牧草地だろうが道路だろうがかまわず横切って、
丘を転げ落ちる勢いで下ってようやく見えて来た町影。
あと、一息。
でも陽はとうに山の端に消え、若干の光を残すのみ。
暗くなる前に町につかなきゃっ。
ガツガツガツガツ
足がじんじんする程に歩調を強めて町を目指す。
セーーーフ。
なんとかついた~~~。
最後に残った今日の光に見送られて電車に乗る。
車窓はすぐに真っ暗に。
灯りのない景色はあっというまに闇に包まれていく。
泊まっているラブラには特にお店もないので、
メラーノまで降りてお土産の買い物。
これまたメラーノに住んでいたお友達に教えてもらった、
土地のお土産がまとめて売ってるお店。
名産品のスペックやワイン、ビールなど品揃えも豊富。
ワインやハムはその場で食べられたので、
ついでに夕飯もここで。
この地方は白ワインが有名。
良く分からないのでお店のお兄さんに聞いたら、
フルーティーでありながらボディのしっかりした味わいが特徴なのだそう。
一番のおすすめワインと、ハムの盛り合せをもらって晩餐。
ん~~、おいしい!
その土地の物はやっぱりその土地でいただくのが最高においしいね。
そのためならひとりご飯の寂しさもがまんできる大人にならなくっちゃ。
長い長い旅の空、ほろ酔い気分で夜は更けていくのでした。
次の電車に乗って更に山を上っていく。
車窓には、りんご畑と深い森。
そして切り立った雪山がどんどん間近に迫ってくる。
いくつかの小さな村を通過し、終点マッレス駅へ到着。
その先に広がるのは山と草原。。
そこからバスに乗り換えてさらに奥へ。
昨日行った鐘楼の建つレジア湖へ。
え?また行ったの??とお思いの方もいるだろう。
はい、行きます。何度でも。
そこに美しい光がある限り。
昨日はそこまで晴天というわけではなかったし、
山間の日没はずっと早く、
あっという間に山の陰に日が隠れてしまって、
思うような光でなかったのだ。
写真は一瞬の出会い。
その出会いは偶然であるから輝く一瞬だと分かっていても、
どうしてもその一瞬を貪欲に求めてしまう。
日頃、まっいっかと実にあっさり生きているほうだけど、
(もっとがんばれとも我ながら思うけど)
こと写真に関しては実に貪欲でしつこく、
こんな自分もあったのかと思ったりする。
とにかくである、
旅を延長した晴天の一日を、
昨日のあの景色にリベンジしたのである。
青空を映して昨日よりも青く輝く湖面。
明るい陽を受けて燃える紅葉。
輝く頂上の雪、太陽。
そこに見える全ての景色
美しい地球。
美しく雄大な自然に包まれて
穏やかな気持ちになって辺りを歩く。
よくあるささやかな景色にも涙が出そうになる。
溢れる光
それに向けて全てのもが手を広げる、
草木、水、山、空、空を泳ぐ雲、
この地球にある生命、それがある理由、
その答えが今、目の前にある。
私も習って、そっと手を広げる。
生かされている、
私は生かされている。
この森が、山が、湖が、
たくさんの偶然と必然の織りの中で、
そこにあるものとして存在するように、
私も今ここに立って、ここにあるものとして存在しているんだ。
たくさん傷ついた。
私の存在を否とするものに対抗する事も出来ず
心を固くして必死で身を守ろうとした。
でも本当は誰も傷つけようとなんてしていなかったのかも。
それは、時に強い風に折れる枝のような、
強い雨に削れる山のような、
日が陰れば輝かない湖のような、
そういうことだったのかもしれない。
もうやめよう、傷ついたことにこだわるのは。
でも手を広げて初めて分かる、
私自身がぽろぽろと欠けた身であることを。
探すんだ、亡くした私の欠片を。
それがこれから私ができること。
やるべきこと。
大きく空を見上げて、帰りのバスに乗る。
車窓を眺めながらふと思う。
亡くした欠片を探す事は、旅する事に似ていると。
だから私は無意識に旅をしていたのかもしれない。
車窓の景色に思わずバスを降りた。
夕日を明るく照らした紅葉に
丘にぽつんと建つ教会。
のんびり草を食む牛に、
遠くに見えるお城。
傾く日の光が引く影の美しさ。
今日一日が平穏に終わる事の至上の美。
数枚写真を撮って振り返って愕然とする。
ひよーん、、ただ風が吹く平原はどこまでも平原。
あれれ、もしかして、町の一つ手前だと思って
衝動的に降りたここは、随分手前??
次のバスは1時間後。
どうだろう、歩くが早いか。。
とりあえず歩いてみる
ガシガシと革のブーツがぬかるむのも気にせずに。
ガシガシガシガシガシ。。
遠くで牛が振り返る。
変な人間を確認して、興味がなさそうにまた草を食む。
人の牧草地だろうが道路だろうがかまわず横切って、
丘を転げ落ちる勢いで下ってようやく見えて来た町影。
あと、一息。
でも陽はとうに山の端に消え、若干の光を残すのみ。
暗くなる前に町につかなきゃっ。
ガツガツガツガツ
足がじんじんする程に歩調を強めて町を目指す。
セーーーフ。
なんとかついた~~~。
最後に残った今日の光に見送られて電車に乗る。
車窓はすぐに真っ暗に。
灯りのない景色はあっというまに闇に包まれていく。
泊まっているラブラには特にお店もないので、
メラーノまで降りてお土産の買い物。
これまたメラーノに住んでいたお友達に教えてもらった、
土地のお土産がまとめて売ってるお店。
名産品のスペックやワイン、ビールなど品揃えも豊富。
ワインやハムはその場で食べられたので、
ついでに夕飯もここで。
この地方は白ワインが有名。
良く分からないのでお店のお兄さんに聞いたら、
フルーティーでありながらボディのしっかりした味わいが特徴なのだそう。
一番のおすすめワインと、ハムの盛り合せをもらって晩餐。
ん~~、おいしい!
その土地の物はやっぱりその土地でいただくのが最高においしいね。
そのためならひとりご飯の寂しさもがまんできる大人にならなくっちゃ。
長い長い旅の空、ほろ酔い気分で夜は更けていくのでした。