中国単身赴任生活 東京浦島太郎編

10数年住んだ中国を離れて東京のサラリーマン。浦島太郎です。
今は、自転車、写真、ジュリエッタなどのブログです。

私にとっては初めての出来事

2017-11-01 | 一般


遙か昔、大阪から東京へ引っ越してきて、父親に連れて行って貰った後楽園球場。

もちろん今の東京ドームではありません。

ネット裏から、鋭く曲がるボールを見て、感動した小学校4年生。

袖ににマルハのマークのついた、大洋ホエールズ 平松投手のカミソリシュート。

関西出身者ですので、基本アンチ巨人。

幼稚園が、それこそ西宮球場の真ん前、阪急電鉄が経営する阪急幼稚園出身なので、自動的に阪急ブレーブスは好きでした。



狭くてお世辞にもキレイとは言えない川崎球場。

後楽園のようにみんなが笑顔で来る野球場、というよりは、傍にある競馬場や競輪場と同じ博打場のにおいがしました。


だいたい清潔感にあふれる姿のおじさん達が、だみ声で選手をののしる、やじる、という球場でしたね。

お客さんが少ないので、またそのおじさんの声がスゴくよく聞こえる。


会社に入って、それこそ勤務地川崎。

会社の社食と川崎球場の売店の経営が同じ会社で、昼間社食で見かけたオバちゃんが、夜川崎球場の売店でビール売っていました。

内野席はともかく、30数年前の川崎球場 外野席に入る上品なお客さんはビール買うのに、自分で売店まで行かなくてはいけませんでした。

顔見知りのおばちゃん達がいる売店ですので、お金足りなかったら、「明日会社で払うから」という意味不明なツケがきく便利な球場でした。

ビール買うのも缶ビールを箱で買って席まで持って行ったようなかすかな記憶が・・・

その頃は、川崎球場はロッテのホームだったような気がしますね。



都市対抗野球の応援やら、ロッテの試合見に川崎球場には結構お世話になりました。


大洋ホエールズ、子供の頃から大きな声でファンだという人はいなかったような気がします。

まあ、言いにくかったですよね。

横浜に移ってからも、まあ大体が最下位、よくて4位。

時々間違えたように優勝したりするヤクルトスワローズや広島カープと違って、実に安定した低位安定ぶりを示していました。


開幕3連戦で、3連敗。 うーん、割といつものことで、開幕して1週間くらいで「今年もシーズン終わったな」。

奇跡のように4月に上位にいたりしても、鯉のぼりと同じで、GWをすぎたら、しまわなくてはいけないと定位置へそそくさと戻る。

最近では、夏まで元気だったと思うと、交流戦ボロボロ負けてあっという間に定位置へ、でしたね。

毎試合9回裏2アウト ランナー無しで10点差で勝っていても、安心できないチームのファンは複雑な心理。


19年前に、何かが間違って優勝したときには、私はお隣に駐在していて、蚊帳の外。

今のようにネットでTV見られたりするわけもなく、NHK海外衛星放送かラジオで情報を仕入れるのみ。


そんなわけで、今年のシーズンを3位で終えたときに「もしかして間違いが起きれば」と思ったし、阪神に勝ったときも、「まさかまた勝ったりしないよね」と過度の期待をしない癖がついていました。


とは言え、日本シリーズまで行ってしまえば、そりゃもちろん過度の期待をしてもバチは当たらないと思いました。



福岡で連敗して、横浜スタジアムでまさかの日本シリーズ。

頼むから一つくらい勝っておくれ! という願いを込めて、夕べは自転車でスタジアムまで心の声援を送りに行きました。


応援をTVで見ていて、よくわかりますね。

福岡は、なんだかどこぞの国のマスゲームを想像させるような団体での一糸乱れぬ応援。

スタンドもユニホーム姿のおかげで真っ白。

こちらは、まあユニホームの青は見られますが、基本普段と変わらないパラパラした応援。

スタジアムの周りには、チケットを買えなかった人達なのか、それとも私のように怖くて球場で見る自信が無い人達なのか、が大勢いました。




ちょっと遠くにスタジアムの光が見えて、「ガンバレ-」とつぶやくくらい、の応援が似合っているような気がします。

TVにうつった TAIYOのユニホームや、白いYOKOHAMAのユニホームのおじさん達もそんな気持ちでいるのかもしれません。

地味な色のユニホームが当たり前だった頃に、オレンジや緑のユニホームになって「ちょっとそれはないだろ!」って思った頃を思い出して、もうちょっとしたら始まる試合を、時々見るようにしたいと思います。


一つや二つくらい勝たないと、また青いユニホームで大通り歩けなくなりますよ。(もちろん私はそんな事しませんが)






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