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ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

ひょんなことから  徳川家康に所縁の場所へと・・・・・

2024-11-23 21:46:45 | 草花

自転車でお隣、安城市の南部にある徳川家康ゆかりのお寺を訪ねました。

その発端となったのはその2~3日前に昔からある田舎の道で下のような古い石の道標を見たからでした。 

古い石の道標 ↓

このことをいつもの大先輩に話すと、その道標には「右 のてら」と彫られていておそらく蓮如上人とゆかりの「本證寺」のある(安城市) 野寺町字野寺を指しているのだろう。ということになりました。

その「本證寺」こそはご当地徳川家康(公)の「三大危難」として名を知られる、三河一向一揆の本拠地でありました。

家康が22歳から41歳までの間に直面した生き死にの重大場面を「家康の三大危難」と言っていますが、それは「三河一向一揆」「三方ヶ原の戦い」「伊賀越え」の三件でありました。

(ところで一向一揆の「一向宗」とは、浄土真宗本願寺派のことで、信心が深く結束力も強固でありました。)

三河一向一揆は先般のNHK大河ドラマ「どうする家康」で相当こだわりを入れたところではなかったでしょうか。

家のすぐ近くに歴史で語られた三河一向一揆の本拠地を案内する石の道標があったことにより、これは放ってはおけなくなりました。

さっそく自転車で訪問することになりましたが、何しろ今から400年以上も前の、昔の道があるわけもなく、今の世で使われている道を自転車漕いで行ってきました。

名古屋鉄道西尾線の南桜井駅 ↓

これを目印にしてきました。目的地はもう近い。

 

バス停 ↓

バス停の名前はそのものズバリでした。

 

本證寺の山門 ↓

山門という言葉を使わずに「大門」と案内されていました。

 

門柱 ↓

お隣は石の産地岡崎市ですので、良い石柱が建っています。

 

本堂 ↓

この日は建物の内外をいろいろ手入れしていました。史跡ですので念が入っています。

 

祭壇 ↓

本堂の中に入らせていただきお参りします。「つくり」の一つ一つにうんちくがあるようですが省略。

 

御本尊 ↓

阿弥陀如来様の立像

 

本堂とお庫裏の連絡路 ↓

雨に濡れることなく長い道のりを行き来出来ます。

 

お庫裏 ↓

立派な建物ですね。この日はここでお茶会が催されていました。

 

鼓楼 ↓

遠くからも良く見えて、それはまるでお城の様な見え方でした。

 

鐘楼 ↓

これのつくりにも蘊蓄がありましたが、それも省略。

 

経蔵(きょうぞう) ↓

 

経蔵を持つ寺は少ないと聞きます。

 

裏門 ↓

この裏門も自讃していましたが、ナルホド確かに手間暇をかけて維持管理されています。

この脇に蓮池がありましたが、時季が違いますので、咲いたときに再訪したいものです。

このお寺は一向一揆の時の一揆勢の中心拠点であった当時は、(家康と戦った時には)城郭寺院として

外堀・内堀を巡らせていたのです。

 

とても見ごたえのあったお寺という印象を抱いて帰路につきます。

 

(途中で自転車がパンク・・・一時間ほど自転車を引いて行きます。)

 

夕焼け ↓ ↓

鈴鹿の山が今年一番と言えるほどきれいなシルエットを見せてくれます。

 

明日天気にな~れ。

コメント (6)
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