ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

三河八橋界隈を見て戻る

2016-02-06 11:04:33 | 草花
散歩の足は延びて、三河八橋の方に向いています。
三河八橋といえば「伊勢物語」で名前の出てくる地名ですね。
在原業平の詠んだ歌 「からごろも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」
には、各句の始めをつなぐと”か・き・つ・ば・た”となる、折句という技法が取り入れられていて、古文の教科書的で、知られているところだと思います。

ところで、この「カキツバタ」の漢字表記については、実にたくさんの文字があります。
杜若、波太波奈、翅燕花、燕子花、紫燕、煙蘭、加吉都播多、書付花、加岐都波太、蠡実、一名劇草、一名馬藺子、加木豆波太、劇草、一名馬藺、加木豆波太、加吉都幡多、華己紫抜他、加岐都波奈、垣津幡、垣津旗、垣幡、カキツバタの別名としてカイツバタ、貌吉草カオヨグサ、カオヨバナ、カオ花、貌花カオバナ、容花カオバナ、可保婆奈カオバナ、可保我波奈カオガハナ、ときとしてカキツなど・・・・。
(牧野先生の記述を適当に抜粋)

ここまでしつこくカキツバタの漢字書きについて調べたのは、次に訪れたお寺さんの山号に原因がありました。
紫燕山在原寺 ↓

このお寺の山号は「紫燕山」でしたので、この”紫燕”の意味が解らなかったからでした。
牧野先生のカキツバタに関する記述から、これはカキツバタのことを指すようだとわかり、在原業平の故事と照らしてやっと納得出来た次第です。



俳句 ↓

(兼子)松堂義玄の句で、「いつも聞く家は早や寝て遠砧(きぬた)」という句でした。
彼は松尾芭蕉よりも150年ほど後の人ですが、芭蕉の流れをくむ俳人として、三河では有名な存在だったようです。



根上がりの松 ↓

旧鎌倉街道沿いで見ました。



業平塚 ↓

名古屋鉄道三河線の線路際にこの塚がありました。



業平供養塔 ↓

塚の上にはこの供養塔があります。鎌倉時代の建立のようです。



野の花 ↓

このあたりで、そろそろ家に帰ることにします。折り返し点付近で見た菜の花です。



本宮山 ↓

良く行く本宮山が見える場所がありました。今年はまだ歩いていませんので、そろそろ行かねばなりません。(このあたりが今回の最遠点になるようでした。)



アオサギ ↓

家の向こうでアオサギがのんびり日向ぼっこしています。小生が立ち止まってカメラを構えても逃げていきません。



三河八橋駅 ↓

名鉄(名古屋鉄道)電車の三河八橋駅を回り込みます。



歩道橋 ↓

以前は冬場の見通しの良さそうな時にはここまで来て、歩道橋の上から木曽御嶽を眺めたものでしたが、
今回は塗装工事中ということで、これを使うことができませんでした。
コメント (4)
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