河童の歌声

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もっと沢山の山を登りたかった

2023-08-08 14:26:54 | 登山


テレビで「グレートトラバース・日本300名山」というのを観ました。
別に観たくて観たのではなく、たまたま観たのです。
田中陽希というプロの登山家が主人公でした。

彼は既に290座以上を踏破していて、
今回は出身地である北海道での山行でした。
年齢も30代後半と、登山家として脂の乗り切った男盛り。
残念ながら頭髪は既にピークを越してしまっています。

7泊8日だかの全行程の食料、飲料水、テントでザックの重量は30キロ。
私も30代後半に友人と穂高に行った時のザックは35キロありましたが、
30キロを担いで急峻な登山道をホイホイ歩く彼と、
上高地から涸沢までのそれほど標高差の無い道を、
ヒーヒー言いながら歩いた私とでは天と地、月とスッポンです。
彼が日本300名山295座踏破なら、
私は日本100名山、89座です(未踏の山が)どんなもんじゃい。

しかし、たま~にこ~いった登山番組を観ると、思うのは
「もっと色々な山を登りたかった」という事です。

中央アルプスは一度も行った事がないし、
飯豊連峰縦走も、台風接近で二度と行く事はなくなってしまった。
八ヶ岳は北だけで、南には一度も行かなかった。
南アルプスは北岳、間ノ岳、農鳥岳の、いいトコ取りの3山しか行ってないし、
最も行きたかった、北アルプス槍ヶ岳北鎌尾根は、もう絶対にあり得ない。

私が山岳会にでも入っていたら、登山歴は格段に増えていたと思いますが、
二度、山岳会に入った事はあるのですが、
男女の知り合いの場的なムードが何となく好きになれなく、
それまで独りだけでやってきただけに、やっぱり独りっきりがいいねでした。
単独でやっていると用心深さは身に着きますが、
井の中の蛙で知識は頼りないままで、あまり進歩は望めませんでした。
ですから、高齢者になってから入った、新ハイキングでは、
知らない事が多過ぎて、驚かされる事が多かった。



単独でやっていると、自分なりの危険意識と技術が身に付くのか、
槍穂高全山縦走などという普通だったら単独などでほぼ行かない登山も経験しました。
その翌年行った、白馬大雪渓を登り、後立山連峰を縦走して針の木雪渓から下山の山行は、
身体中が浮腫んで体重で4キロ増えてしまい、登山を断念するしかありませんでした。





白馬岳から唐松岳に行くには、不帰の瞼(かえらずのけん)という難所があるのですが、
穂高のジャンダルムや、大キレットという難所を何度か経験のある私は、
「あそこって何処か恐いトコあったっけ?」というくらい印象が残っていないのです。
そういった意味では山での、特に危険個所の経験というのは、
一度一度がとても身に付く貴重な経験なんだと思います。

それを最後に私は3000メートルを目指す登山は辞めてしまいました。
身体の浮腫みの原因がわからないのです。
2年前に、再び身体に浮腫みが出たのですが、やはり根本的には原因不明です。



しかし、必死になって頑張った、アドレナリンがピークに達する岩壁も良かったけど、
心休まる静かな山小屋での語らいも、いつまでも忘れられないものだった。
あんな素晴らしかった経験は二度と戻らない。
本当にもっと色々な山を経験したかったし、色々な人達と知り合いにもなりたかった。
帰らざる日々、だからこそ良かったのかな・・・




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