今年の夏は、なんだか山の遭難事故が多いような気がしていました。
でもそれは気がしていただけではなく、実際に遭難は多かったのでした。
それは、コロナが段々と緩和され、人々が山へ山へと向かった結果だったのです。
それが統計として出ているそうです。
遭難事故の3大原因は、
転・滑落 19%
転倒 17〃
道迷い 36〃 この3つで全体のほぼ3/4を占めます。
つまり、最も多い遭難原因は、道迷い遭難なのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/4c/9ea9810728243a4199eba58396b3767f.jpg)
道迷い遭難は、高山ではなく低山ほど多いのです。
高山は比較的、尾根と谷との区別が分かりやすいのですが、
低山は尾根筋がはっきりしないのが罪です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/9f/f6f5adbe4b0a6b017fc6589ba482c5fe.jpg)
ある遭難事故があります。
その彼(中年男性)は、ある日秩父の山へ単独で行きました。
天気のいい日曜日、その低山は初心者向けの優しい山でした。
登山口から往復すれば5時間もあれば、行って帰れる気軽なコースでした。
頂上まで行って昼食とかしたのかもしれません。
山から下りる時になって、それまで登ってきた安心なコースを戻るのでは物足りない。
そう思ったのかもしれません。
彼は山の向こう側にある別の登山道から下りようと足を踏み出しました。
しかし、それは下山道ではなく、尾根伝いに隣の山へ行く道だったのです。
下る筈の道は、いつまで歩いても下らず、尾根が伸びているだけです。
それでも彼はきっとそのうち下り坂になるだろうと歩き続けました。
そのうち暗くなり夜が更けて歩行が困難になり、その場で一夜を明かしました。
登山道で一夜を明かした彼は再び歩き始める内に、下へ降りる道を発見します。
もう、その道を下るしかの選択肢しか思い浮かびません。
下って行きました。
すると崖に出くわし、もう上に登り返す気力も体力も無く、崖に取りついた彼は、
10メートルも転落してしまいました。
怪我を負ってしまった彼は、動く事も出来ずに・・・どうなったか?
彼の遺体を発見したのは渓流釣りに入った釣り人でした。
遺体と言っても、それは彼の頭蓋骨だけでした。
全ては熊に喰い尽くされていたのです。
それは遭難事故から半年後でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/01/4c737e9207004bd8d44d7434de39c49b.jpg)
でも、発見されただけマシ。
永久に発見されない登山者が日本にはかなり居るのです。
この遭難の原因はいくつもあります。
まず、家族に何処の山へ行くのかを言わなかった。
彼が家族に言ったのは「秩父の山へ行く」これだけ。
これでは捜索しようにも、それは無理というものです。
私は以前、丹沢の山で弟を探しているお兄さんに会った事があります。
弟が兄に言ったのは「山に行く」だけだったのです。
あれから40年経ちました。
その弟さんはきっと永遠に見つからないと思います。
半年後に見つかった彼は、それまでの経緯を手帳に書いていたので、
おおよその経過がわかりました。
気軽なハイキングと思っていた彼は、
まず地図も磁石も、そして携帯電話も持って行かなかったのです。
勿論、雨具も懐中電気も、非常食も無かったのでしょう。
問題外というくらい馬鹿げた行動です。
いくら「俺は遭難した、俺を見つけてくれ、助けてくれ」と叫んでも、
絶望的に助かる可能性はありません。
そして彼は最悪の死に方をしてしまったのです。
山の常識、その➀として、
迷ったら、元来た道を引き返すというのがあります。
そこまで来た道だったら、雰囲気とか覚えていますから、戻れるのです。
そして➁として、
迷ったら上に登れ、絶対に下ったらダメというのがあります。
山を知らない人は「下らなかったら帰れない」と思うでしょうが、
下ると沢(つまり谷間)になり、そこには滝や崖などがあって、
大怪我をする原因になり、それは死に直結するのです。
しかし、上に登るという事は、上の尾根筋には一般的には登山道が在るのです。
登山道に出れば、登山者に会えるかもしれないし、遠くまで見通せるし、
何処かの分りやすい下山道に出会える可能性が高いのです。
私は、登山の常識である「単独登山はやめなさい」を知っていながら、
全登山の90%が単独行でした。
それだけに、臆病過ぎるほど臆病でした。
家族には、何処の山に、このコースで行くと伝えてあり、
その日の思い付きなどでルートを変更する事は、絶対にしませんでした。
装備も万全をきっし、最後の登山者にはならない様にしていました。
つまり、その道を最後に通る人、自分の後からは誰も来ない、それは極力避けました。
そうしないと仮に、事故を起こしたのが月曜日だったら、
その週末まで発見されないという悲劇になるからです。
しかし、50代の最後に行った槍穂高全山縦走とか、
ジャンダルムや、大キレットといった危険ルートの時は、
何があっても自己責任だ、気持的には後悔しないぞと、
自分に言い聞かせて行ったのでした。
道迷い遭難は、特に単独の時は、ホントに恐いのです。
「あれッ!」と違和感を感じた時は、心臓がドキドキします。
それが自分の最期に繋がる事だけは、絶対にしたくないし、
私はそうならなくて本当に良かったと思います。
でもそれは気がしていただけではなく、実際に遭難は多かったのでした。
それは、コロナが段々と緩和され、人々が山へ山へと向かった結果だったのです。
それが統計として出ているそうです。
遭難事故の3大原因は、
転・滑落 19%
転倒 17〃
道迷い 36〃 この3つで全体のほぼ3/4を占めます。
つまり、最も多い遭難原因は、道迷い遭難なのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/4c/9ea9810728243a4199eba58396b3767f.jpg)
道迷い遭難は、高山ではなく低山ほど多いのです。
高山は比較的、尾根と谷との区別が分かりやすいのですが、
低山は尾根筋がはっきりしないのが罪です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/9f/f6f5adbe4b0a6b017fc6589ba482c5fe.jpg)
ある遭難事故があります。
その彼(中年男性)は、ある日秩父の山へ単独で行きました。
天気のいい日曜日、その低山は初心者向けの優しい山でした。
登山口から往復すれば5時間もあれば、行って帰れる気軽なコースでした。
頂上まで行って昼食とかしたのかもしれません。
山から下りる時になって、それまで登ってきた安心なコースを戻るのでは物足りない。
そう思ったのかもしれません。
彼は山の向こう側にある別の登山道から下りようと足を踏み出しました。
しかし、それは下山道ではなく、尾根伝いに隣の山へ行く道だったのです。
下る筈の道は、いつまで歩いても下らず、尾根が伸びているだけです。
それでも彼はきっとそのうち下り坂になるだろうと歩き続けました。
そのうち暗くなり夜が更けて歩行が困難になり、その場で一夜を明かしました。
登山道で一夜を明かした彼は再び歩き始める内に、下へ降りる道を発見します。
もう、その道を下るしかの選択肢しか思い浮かびません。
下って行きました。
すると崖に出くわし、もう上に登り返す気力も体力も無く、崖に取りついた彼は、
10メートルも転落してしまいました。
怪我を負ってしまった彼は、動く事も出来ずに・・・どうなったか?
彼の遺体を発見したのは渓流釣りに入った釣り人でした。
遺体と言っても、それは彼の頭蓋骨だけでした。
全ては熊に喰い尽くされていたのです。
それは遭難事故から半年後でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/01/4c737e9207004bd8d44d7434de39c49b.jpg)
でも、発見されただけマシ。
永久に発見されない登山者が日本にはかなり居るのです。
この遭難の原因はいくつもあります。
まず、家族に何処の山へ行くのかを言わなかった。
彼が家族に言ったのは「秩父の山へ行く」これだけ。
これでは捜索しようにも、それは無理というものです。
私は以前、丹沢の山で弟を探しているお兄さんに会った事があります。
弟が兄に言ったのは「山に行く」だけだったのです。
あれから40年経ちました。
その弟さんはきっと永遠に見つからないと思います。
半年後に見つかった彼は、それまでの経緯を手帳に書いていたので、
おおよその経過がわかりました。
気軽なハイキングと思っていた彼は、
まず地図も磁石も、そして携帯電話も持って行かなかったのです。
勿論、雨具も懐中電気も、非常食も無かったのでしょう。
問題外というくらい馬鹿げた行動です。
いくら「俺は遭難した、俺を見つけてくれ、助けてくれ」と叫んでも、
絶望的に助かる可能性はありません。
そして彼は最悪の死に方をしてしまったのです。
山の常識、その➀として、
迷ったら、元来た道を引き返すというのがあります。
そこまで来た道だったら、雰囲気とか覚えていますから、戻れるのです。
そして➁として、
迷ったら上に登れ、絶対に下ったらダメというのがあります。
山を知らない人は「下らなかったら帰れない」と思うでしょうが、
下ると沢(つまり谷間)になり、そこには滝や崖などがあって、
大怪我をする原因になり、それは死に直結するのです。
しかし、上に登るという事は、上の尾根筋には一般的には登山道が在るのです。
登山道に出れば、登山者に会えるかもしれないし、遠くまで見通せるし、
何処かの分りやすい下山道に出会える可能性が高いのです。
私は、登山の常識である「単独登山はやめなさい」を知っていながら、
全登山の90%が単独行でした。
それだけに、臆病過ぎるほど臆病でした。
家族には、何処の山に、このコースで行くと伝えてあり、
その日の思い付きなどでルートを変更する事は、絶対にしませんでした。
装備も万全をきっし、最後の登山者にはならない様にしていました。
つまり、その道を最後に通る人、自分の後からは誰も来ない、それは極力避けました。
そうしないと仮に、事故を起こしたのが月曜日だったら、
その週末まで発見されないという悲劇になるからです。
しかし、50代の最後に行った槍穂高全山縦走とか、
ジャンダルムや、大キレットといった危険ルートの時は、
何があっても自己責任だ、気持的には後悔しないぞと、
自分に言い聞かせて行ったのでした。
道迷い遭難は、特に単独の時は、ホントに恐いのです。
「あれッ!」と違和感を感じた時は、心臓がドキドキします。
それが自分の最期に繋がる事だけは、絶対にしたくないし、
私はそうならなくて本当に良かったと思います。
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