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私が山で遭難しなかった理由

2023-08-13 05:55:34 | 登山
梅雨が明けて、「梅雨明け10日」という、一年で最も天候の安定する時期を迎え、
全国登山ファン達は一斉に登山を開始したのはいいんですが、
連日報道される遭難記事。
登山という趣味が中高年者から圧倒的に支持される故に、
遭難者年齢も高齢化するのは当然の帰結です。
高齢者になってから山で遭難し、死んでゆくというのは、
悲し過ぎる死であり、世間からも後ろ指指されるいたわしい姿です。

20代半ばから登山を始めた私は、結婚生活という途中ブランクがあったとはいえ、
足掛け40年くらい登山に関わってきました。
その間、私は人様に迷惑をかける事無く、無事に登山人生を終える事ができました。
私の登山歴の90%は単独行であり、複数で行ったのはたった10%程度でした。
「単独行はやめなさい」というのが登山界での常識であり、良識とも言われます。
しかし、私は最後まで単独スタイルをやめませんでした。
その最大の理由は「自由だったから」です。

しかし、「自由」とは「危険性」と裏腹なのです。
大勢の登山者で溢れている様な、人気コースでしたら、
単独とはいえ、それほどの危険性とは、ほぼ縁が無いでしょう。
ですが、一日中誰も来ない様な道となると、その危険性は途端に跳ね上がります。
自分の身体に異変が起こって倒れてしまったら、発見されるのは数日後かもしれないのです。



私が登山でいつも使っていたのは「昭文社の色地図」でした。
その地図の良さは、コースタイムがわかり易い。
色分けしてあるので、とても見易い。
そして紙質が水に濡れても破れにくい耐水性の紙である事です。



山のベテランと言われる人には、これを軽蔑し、
国土地理院の5万図と言われる「白地図」にあくまでもこだわる人もいました。
「これこそが、地図を読むのが身に付く基本だ」と言って譲らない人もいました。
しかし、私は長い経験で、昭文社地図で困った事など一度も無いし、
むしろ白地図は分かりにくくて混乱を招くばかりだと思っていました。
真っ白より色別けの方が見易いに決まっていますし、
コースタイムという貴重な参考が載っていた方がいいに決まっています。



ただ私は、いわゆる実線コースだけを歩く様にしていました。
破線(点線)コースというのは、バリエーションルートであり、
それを複数人で行くのはいいが、単独行登山者は、足を踏み入れるべきではないと、
それだけは頭に叩き込んでいました。
もし万一の事が起こったら、後悔しても仕切れないという事態になりかねないのです。
何も敢えて破線ルートなど採らずとも、実線ルートでも山は充分に楽しいのです。

そして最も大事なのは、
行く前に身内や知り合いといった人に、自分が行くコースを知らせておく事です。
そして、そのコースをその日の気まぐれなどで変更してはならない、これが最も重要なんです。

緊急用の非常食、ホイッスル。雨具、遭難した時に誰かに発見してくれる為の荷札。



その場から動けなくなった場合のレスキューシート。

現在はスマホアプリなどで、現在地がわかり易くなっているし、
これは活用しない手はありません。
しかし、私の時代は、まだ携帯すらあまり繋がらず、頼りにはなりませんでした。
いくら昭文社地図の一般ルートとはいえ、
あまり登山者の来ない不人気ルートだったりすると、
やはり最終的なのは、己の勘と身に付けた用心深さでした。

槍穂高縦走の時も私は「時間をかけてゆっくり慎重に歩けば、絶対に辿り着ける」
という己の信念だけが頼りでした。
いくら技術があっても焦ったら一巻の終わり、そう思いながら歩いたのです。

大胆不敵で活動的な人、それは傍目から見ると、実にカッコイイ。
しかし、私のスタイルはそれとは正反対でカッコ悪かった。
石橋を叩いて渡る用心深さ、(それでも間違える事はあるのです)
道を間違えたと自覚した時は、すぐに引き返す。
一か八かなどという、自分の運命をサイコロで決めるなどというのはやってはならない事。
「あ~、こんな事なら辞めときゃ良かった」なんて後悔だけはしたらダメなんです。

そうやって、私は長い登山人生を真っ当に終える事ができました。
終わり良ければ全て良し、それが登山というものです。


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