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客船ヴェスツリス号の悲劇

2023-03-07 07:06:30 | 船舶


イギリスの貨客船ヴェスツリス号は1912年完成。
10500トン、旅客定員610名、乗組員250名、合計860名。
貨物積載量7000トン。

この船の沈没は特異な事件として、イギリスの海員養成に際し、
船舶運航当事者の責任のあり方の格好の教材として、
商船士官の教育の中に生かされているのです。
何故ならこの沈没は、最高責任者である船長の義務責任怠慢で起きたからです。

ヴェツリヌス号は1928年11月10日。
ニューヨークからブエノスアイレスに向けて出港しました。
船長は海上生活40年というベテランのキャレー船長で、
長い船長生活の間に一度も海難や事故の経験がありませんでした。
この事が彼を自信過剰で慢心にさせていたのです。
彼は自分は絶対であり、自分が指揮している以上、船は安全、完全であるという、
観念にすり替わり、様々な訓練、部下の教育という事をなおざりにしていたのです。

ニューヨーク港の埠頭を離れる時、それを見送る人々は何か違和感を感じていました。
船体がわずかに右に傾いていたのです。
何故、傾いていたか?
それは船倉に約6千トンの貨物を積み込んだ際に、何かの不手際が発生し、
わずかにバランスが崩れたのです。
キャレー船長は船の傾きを知っていたらしいのですが、
それを修正するには、一旦全部の貨物を降ろし、再び積み直すしかありません。
それを行うには2日間以上、出港が遅れる事になります。
それは船舶会社にとって莫大な負担となります。
そこで船長は、傾きは船のバラストタンク(船体にある海水を飲み込む構造物)に、
注水してバランスを立て直せば良いと考えたのです。
しかし、これは本来は絶対にやってはいけない行為でした。
船長は勿論、それを知っていながらやってしまったのです。

最初の傾斜は5度程度だったのですが、
それでも船客達はつまづきや、よろめきを感じ何とも言い難い違和感を感じていました。
出港してから4時間後には、海は荒れ模様になり船体の傾きは増すばかり。





そこで船長は、船の3か所にあるバラストタンクに満たしていた海水を、
全て排出させる事を命じます。
これがヴェツリヌスの運命を決めてしまいました。
船体は右に傾いているのですから、左舷のタンクに水を注入し、
右舷のタンクの水を排出させるべきだったのに。
そんな事は子供にでも分かる事です。
ベテランであるキャレー船長が、何故そんな事をしてしまったのかは、永遠の謎です。
バラストタンクを空にした船の重心は当然、上に上がりました。
もはや、船を救う手立ては無くなってしまったのです。



これは沈没寸前の船の姿です。
転覆の危険が迫っていると判断した船長は「SOS」を発信しました。
そして、乗組員達に非常ボートからの退船作業を命じました。
しかし、その瞬間からヴェツリヌス号は大混乱となってしまったのです。

全ての乗組員が一度も訓練をした事もなく、何をどうすればいいのかを全く知らなかったのです。
乗組員達は右往左往するばかりで、そこにパニックになった船客が加わり、
船は収拾の尽かない事態になってしまいました。



SOSを聞きつけた船は6隻で、全部が現場に駆け付けたのですが、
8時間以上かかったのでした。
事故の犠牲者は112名でした。

キャレー船長は、沈没寸前に航海士からの退船要請を聞き入れず、
一人で船橋に戻って行き、船と運命を共にしました。
出港時の船体の傾きを知りながら出港するという取り返しのつかない大失態。
退船に際しての大混乱。
その全てが自分の責任だった事に耐えられなかったのでしょう。
日本ではなく、欧米で商船の船長が自ら死を選ぶという行為は、
タイタニック号のスミス船長と共に、珍しい例なのです。


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