河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

先生と呼ばれる人たち

2022-02-21 13:13:41 | 日記
世に「先生」と呼ばれる職業の人達がいます。
「医師」「弁護士」「教員」などですね。

彼等は若い頃から、例えば医師になる人は、
大学が医学部でしょうから、その時点から周囲の人達は、
彼等に対し「先生」という言葉を使い始めたりする訳ですね。

そうなると、どうなるか?
彼等は自分達が将来間違いなく「先生」と呼ばれ続ける人生である事を感じます。
そうなると、どうなるか?
彼等はその時点から人生の勘違いを起こしたりするのです。
「私らは、先生なんだ、偉いんだ」
そりゃ、先生と呼ばれない大多数の人達から比べれば、
私らは違う人種なんだ、偉いんだと、なりやすいでしょうね。

普通のサラリーマンになる殆どの人達は、
自分が偉いんだなんて、思う筈がありません。
その差はかなり危険な落とし穴である事に気づく人はまだいい。
「俺は、先生様なんだぞ」で人生をまっとうしてしまう人も、中には居るのです。

私の親類にも教育者が3人いました(もう3人とも鬼籍に入っていますが)
私の大好きな歌声喫茶でも、元教育者は何人も居ます。
その中のある方は、いつまで経っても教育者スタイルから抜け出す事ができず、
人の顔を見れば、まるで小学生を諭す様な事しか言いません。

そうなると、どうなるか?
皆、その人の言う事をまともに聞こうとはしなくなり、
それを本人が気づけばまだいいのですが、
気づかない人は、「あの人と話しても無駄だ」と無視する様になります。

私のおじさんは中学の教師でした。
父兄からどんな質問をされても、その場で分からない事は、自分で調べて、
後日その方にキチンと答えるといった真面目そのものの教師であり、、
父兄からの信頼は絶大だったそうです。
そのおじさんは定年退職した後は、何する訳でもなく家庭内に籠ったままでした。
それは(濡れ落ち葉)の典型であり、
恋愛結婚した奥様からは嫌われ邪魔者扱いでした。
私も親戚の集いで何度かおじさんに会ったのですが、
やはり、誰かさんと同じで幾つになっても教育者から抜け出す事が出来ませんでした。

職場から離れ一般人になった時点で、
他の人達と同じ目線で物事を考える人であったら、普通に付き合ってもらえるものを、
自分は皆から仲間外れにされている事に気づかない元教師は、多いのですね。

私の昔の知り合いは(以前ブログにも書きましたが)
保険会社の有能な査定員で、ヤクザを怒鳴りつける程の凄みがありましたが、
大病院の院長を呼びつけ「お前の病院が不正をやってる事は全部分かっているんだ」と、
その院長を大声で怒鳴りつけるんだそうです。
(ヤクザに比べりゃ、堅気の医者先生など子供みたいなものです)
そうなると、どうなるか?

大病院の院長先生(多分60代か70代)は、
その恐ろしさにおびえガタガタと震え、終いには泣き出すそうです。
物心ついた頃から「先生、先生」と崇められ羨まれてきた人生。
それが生まれて初めて赤の他人から頭ごなしに怒鳴られたのです。
俺は他人の何倍も偉い人物なんだぞと、疑った事など一度もなく、
まさか、そんな歳になってから怒鳴られるなんて、考えた事もなかったのですから、
その恐怖心に偉い先生の自分が泣き出すなんて、青天の霹靂だったでしょうね。

これは弁護士も同じで、
他人から自分を否定されたり、怒られた事など一度もないのですから、
自分という人間に対し、悪い事は悪いと諭してくれる人を、
とても大切にしてくれるんだそうです。
そういった中年女性に会った事がありました。

先生と呼ばれてきた人は、
自分を客観的に眺めて、なんか仲間外れになっている気がしたら、
それは間違いなく、その通りなんですから、改めないとマズイですよね。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しかったフィギア、エキシビジョン

2022-02-21 11:13:25 | スポーツ
北京オリンピックが終わりました。
昨年の東京オリンピックの時もそうでしたが、
北京では、それに輪をかけて限界感を強く感じました。

雪の無い都市で人工雪で固めて行う不自然さから始まり、
何度言われても薬漬けをやめずに、国としての出場を拒否されたにも係わらず、
相も変わらずドーピングに頼るロシアを追放できない弱さ。
衣服に違反があるなら試合前に言うべきと思うのに、終わった後でという不思議さ。
妨害行為があったと自国を有利にさせる判定。
どれもが、一体どこまでが本当で、どこからが嘘なのかは謎のまま。

もうスポーツマンシップだとか、
出場する事に意義があるだとか、
そういった綺麗ごとは通用しなくなっている事を世界中が感じている。
限界はどうしようもなく近づいている。

私が個人的に楽しかったのは、
ロコソラーレの女性達による、カーリングでした。
以前は「カーリングなんてゲームだ、スポーツじゃない」と、
まるで否定的だったのに、最も楽しかっただなんて・・まったく~。

しかし、昨日行われたフィギアスケートのエキシビジョンは、
心から楽しかった。



























すべての競技をやり終えた安堵感。
もう折れそうになる精神力に悩む必要もない安心感。
出し尽くした結果がどうであれ、互いに力を競い合った仲間達。
国の違い、言葉の違いを超えて同じ競技を戦った相手に対する思い。

そういった人間性がよく表れていて、私は本当に楽しかった。
出来る事なら、夏冬すべてのオリンピックでも、
同じ競技を戦い合った選手たちによる、こういったエキシビジョンがあってもいい。
そんな事を思いながら眺めていました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする