河童の歌声

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あゝ相鉄線

2022-02-01 09:47:47 | 日記


相鉄線という路線は、
横浜駅(JR乗り換え)と、海老名駅(小田急線乗り換え)とを結ぶ、
総距離24,6キロの短い鉄道でしたが、
私の人生では最もよく乗った電車でもありました。
最寄り駅だったのは二俣川駅で、横浜から9つ目、急行だと1つ目でした。





大体、こんなカラーの電車をよく覚えています。
二俣川駅というのは神奈川県ではかなり有名な駅なのです。





それは、ここには運転免許センターがあり、自動車の運転免許の実地試験をしたり、
運転免許の書き換えをしたりする大きな施設がある為に、
神奈川県在住者の殆どは、一度はきっとここには来るからです。

私が横浜の二俣川に住む様になったのは、
1968年からでしたが、
8年後の1976年には、二俣川駅から小田急線の湘南台駅に行く、
いずみ野線という盲腸みたいな路線も開通し、少し便利になりました。

二俣川駅まではバスで10分くらいの左近山団地という場所に住んでいて、
何処に行くにも二俣川駅からしか足は無かったのですが、
1980年に横須賀線に新駅「東戸塚駅」が開業し、
それに伴って左近山団地から東戸塚駅までバス路線も営業を開始しました。
ですから、今までは二俣川駅から相鉄線に乗り換えて横浜へ行ったり、
反対に大和駅まで行って、小田急線に乗り換えていたのが、
今度からは横須賀線という選択肢が増えて利便性は格段と良くなりました。
ただ東戸塚駅までは25分と時間はかかりましたが。

2007年から歌声喫茶という歓びを知り、
翌2008年からは、新宿の歌声喫茶(ともしび)を知ると、
東戸塚から、湘南新宿ラインで新宿まで直行で行ける為に、本当に便利になりました。
歌声喫茶を知る前は、東戸塚駅から都心に出る用事も殆どなかったのですが。

現在の妻であるエリカさんと歌声喫茶を通じて知り合って結婚し、
横浜を去って東京・府中市に引っ越したのは、2014年の事でした。
そうなると勿論、相鉄線のその後など無関係になった訳ですが、





それから5年後、2019年になると、
二俣川から2つ目の西谷駅から新しい路線ができ、そこから枝分かれしたレールは、
何と武蔵小杉駅を経由して山手線の大崎駅、そして新宿へと、
50分で一直線で行ける様になるという大出世をしていたのです。
(あゝ、昔この路線があったなら、どれほど便利だった事か・・)

あれは何時だったか?
新宿の歌声喫茶帰り(二次会)に、湘南新宿ラインで東戸塚まで帰ったのですが、
電車は、いつもなんですがとても混んでいて座れる筈もなく立ちっぱなしでした。
しかし、横浜からだったでしょうか? 目の前の席が空いたのです。
そりゃしこたま酔っぱらっているんですから、座るでしょ、当たり前でしょ。

で、やっちゃったんです。
ひと駅行き過ぎて隣の戸塚駅で気がついて、慌てて下車して、
反対側のホームから上り東京行きの電車に何とか乗ったまでは良かった。
私は「座ったらダメだ」と立ったまま吊革に掴まってひと駅だけ、戻った・・・

そこから先は思い出すのも悪夢。
気がついたのは、な、な、、何と品川駅!!
おまけに立った状態なのに、膝から崩れ落ちて床に座り込み、
周囲の人達がビックリして私を凝視していたんですね。
それでも、気がつかずの品川駅。

もう情けなくてガッカリして泣きたい気持ちでした。
新宿駅から2時間近く経って、殆ど振り出しに戻っているんですからね。
夜も遅くなってる中、又、横須賀線で東戸塚駅を目指したのですが、
そこまで行くと深夜でタクシーも中々乗れないだろうと思い、
横浜駅で下車して、5000円もかけてタクシー帰宅。
これだったら新宿からタクシー代16000円(経験あり)で、
最初から帰れば良かったのに~~(泣)



更に、数年前には、鉄道ファンの心を捉えているらしい新型車、
濃いブルーに塗られた、チョッとカッコイイこいつ。
俺が居なくなったからって、俺に見捨てられたからっといって、
何もこんな嫌がらせ、しなくたっていいじゃんか。

何だかまた横浜が恋しくなった・・イヤ、俺は負けないぞ。
何と言ったって、東京中心の歌声喫茶に通う為の理想駅は、国分寺なんだからね。
横浜じゃやっぱり不便(二次会のさなかに「お先に失礼します」)は、
やっぱり切なくなっちゃうんだよね。
しかしな~、あゝ相鉄線だな~。


コメント (2)
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