私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

再び、ビスカイノ。彼の見た江戸初期の日本

2011-09-23 13:35:14 | Weblog
 江戸に来たビスカイノ達の一行を幕府は歓待します。その様子について簡単に説明しておきます。
 ビスカイノ一行が江戸に着いてから、その宿舎に皇太子の御殿(秀忠)より料理番を寄こしています。先ず、イスパニア人を驚かしたものは、魚類が豊富な事でした。江戸市中にはイスパニアのどこの港よりも、沢山魚が至る所に並べてあった事です。日本人は肉よりも此の魚を沢山食べていると報告しています。
 このビスカイノ達の調理のために派遣された料理人は日本風とトイスパニア風の2通りの料理を作っいます。この時、スペイン人たちが日本食を好のんで食べたかどうかまでには言及しておりません。
 此の調理人が作った料理を調べるためにも御城から役人が2人も来て、作られた料理について色々と注文通りの調理が出来たか調べたのだそうです。この調査のために派遣されてきた役人にビスカイノ側でも饗応しています。その時の観察から、日本人はあまり肉料理は好まないが、ヘレス酒(スペイン産の葡萄酒で、シェリー酒のこと)を出したら、大変喜んで、大いに飲み、「沈没せり」とあります。(6月21日)酔いつぶれたのです。
 そして、その翌日、いよいよビスカイノ一行は将軍に謁見すべく江戸城に向います。先頭は、長銃を捧げ持った制服を着込んだ男性、その後に、色あでやかな国王旗や国旗等等が行進します。さらに、その中央には太鼓を配置して、それを打ち鳴らしながら歩調を合わせて整然と行列し、江戸城に向います。余りの珍しさに江戸の町民は多数見学に出ていた。その模様を

 「通過せし市街は甚だ清潔にして整頓し男女及び児童多数の人群集せり。・・・・当日出たる人は少しも誇張することなく百万を超えたるべし、蓋し皇太子(秀忠)が其威勢を示さん為め特に此の如くならんことを命じたればなり。我等の行列の前後に護衛兵四千余人列を正して行進せしが、甚だ静粛にして、此の如く多数の人ありしに拘らず、全く人なきが如く語る者なく又さわぐ者なかりき」
 と。

 「百万を超えたるべし」とあるのは、少々大げさすぎますが、この時、その沿道を人々で埋め尽くしたと云うことからも、いかに多くの江戸市民を動員したかよく分かります。でも、当時の江戸の人口から推測して、この時沿道を埋めた人の数は、数千人集まっておればいい方ではないかと思われます。何せこの行列は1611年です。幕府が江戸に開かれて、10年も経過してはいない時代ですもの、江戸の総人口も、まだ、4,5万ぐらいではなかったかと思われます。すると、どう考えても1万人の者を集めるのは、到底、不可能のことです。でも、沿道には一杯の人が出ており、ビスカイノにはその人の多さに、その数を百万だと云わしめたのです。「百万どりのえくぼ」等の言葉があるように、この「百万」書いてあるのは、沢山の人と云う意味でだと思います。でも、そんな多さに目を見はらすような演出を、当時の江戸幕府の役人は施したのでしょうね。そのために活躍したのが向井将監等だったのではと思われます。