私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

江戸時代も人口の推移

2011-09-12 09:56:04 | Weblog
 ブスカイノの日本に上陸して、「住民の数多きことは殆ど信すべからざる程なり」と、書いていますが、当時の江戸の人口を調べてみました。

 家康が江戸に入った当時、天正18年(1590年)には、「江戸には茅ぶきの家百ばかりも有かなし」と云う状態だったようです。この年は秀吉が北條氏の小田原城を攻め滅ぼし、天下統一を成し遂げた年です。

 その後家康が天下統一の事業を完成させて江戸に幕府を開き、御家人や諸大名を参勤交代制度の元に江戸に住まわせたことによって、江戸の人口は著しく増大していきます。慶長14年(1609年)ロドリゴが家康からお金を借りた年です。その時には、既に、江戸の人口は15万にもいたとロドリゴは「日本見聞録」の中で書いています。「お江戸八百八町」と呼ばれるのですが、慶長年間にはそれほどの多く戸数はなかったようです。

 なお、その後の人口の推移を追ってみました。
 ・享保六年(1721年) (将軍吉宗の改革)    50万人
 ・天保十四年(1843年)(水野忠邦の改革)    55万 
 ・慶応三年(1867年) (江戸幕府の崩壊)    53万

 これからも分かるように江戸時代を通じて人口は現在のように少子時代ではありません。250年間を通じて、大体日本の人口は4、000万人と同じぐらいだったのではに化と云われています。