私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

 又も横道、ドン・ロドリゴ

2011-09-10 14:35:07 | Weblog
 ビスカイノの航海日誌を見ていますと、時々、ドン・ロドリゴと云う人の名前が出て来ます。 
 1611年、メキシコのアカプルコ港から出発して、マニラでなく、直接、日本に向かったのは、即ち、ビスカイノはある任務を脊負って、日本に来たのです。その原因を作ったのがこのドン・ロドリゴと云う人なのです。それについて、又横道ですが、あらましを書いておきます。
 
 17世紀の始めのことです。当時、イスパニアは、現在のフイリッピンであるルソン島を占拠して、そこを中心にアジア経営をしていました。その長官として派遣されていたのが「ドン・ロドリゴ」と云う人です。この人は、1609年、その長官の任務を終えて、メキシコ経由で、帆船「サン・フランシスコ号」に乗って帰国していました。ところが、生憎のことに、その乗っていた「サン・フランシスコ号」は、日本付近で、暴風に遭遇して、船は大破して乗っていた人は、命からがら陸地に非難したのです。その場所が総州の海岸だったのです。このあたりも「小説を読むより奇なり」の感があり、とても興味ある所ですが、それは、またの事にします。

 此の時、長官ロドリゴは、江戸まで出かけ、家康や秀忠と交渉して、新たに購入した船を仕立てて、再び、メキシコへ航海していきます。この時の船の代金など江戸幕府から相当な借金をします。此の借りたお金は「必ず返す」と約束したのだそうです。

 ビスカイノが日本に来たのは、此のドン・ロドリゴが家康から借りたお金(銀)を返金する為の航海でもあったのです。太平洋上で遭難して、メキシコに来ていた日本人を帰国させるという目的もあったのだそうですが、やはり、17世紀の世界の海を航海して、イギリスなどと覇権を争っていたイスパニアの強かな下心は見え見えだと思われますが。でも、当時の世界で最強国であったイスパニアが採った日本に対する最恵国的な政策はちょっと不気味な感じがしないでもありません。その心は何か分かりませんが????。日本を野蛮な国でないと認めていたのでしょうか、こまた疑問です。