六月十日に浦川に上陸したビスカイノはそこから江戸の将軍家康と秀忠に書簡を送ります。その返事が届いたのが六月十四日のことです。その内容は、
・あなたからの書簡に接して、全国民と共に大いに満足している。
・あなたの長旅、暴風にあわれたりして、さぞお疲れのことでしょう。
・日本に着いたからには、皆して歓待します。
・あなたには、直ぐ江戸にまで出てきてください。
・あなたは、何でも自由に振舞ってください。
・あなたが、江戸に来るまでの総ての費用は将軍が用意します。
まあ、ざっとこんな内容だったと書いてあります。之を読みますと、ビスカイノのイスパニアに対してあまりにも寛大すぎるのではないかとも思われますが、そこら辺りの江戸幕府の記録はないので、詳らかなる事は分かりまけますが、もうとっくに諦めかけていた金銭が急遽返却されること知った幕府の役人たちがイスパニアを十分信用する気に変っていたのかもしれませんね。
どう思われますか?????
まあ、それはともかくとして、このような秀忠からの許可書を貰ったビスカイノは、17日朝、その隋員三十名と日本人の遭難者数人と一緒に「舟5艘」で江戸に上ります。
舟と書いていますので、日本の幕府か水戸藩が用意したものでしょう。
ちょっと変わったヨーロッパ人のお江戸入りの様子を詳しく記録しています。それを、暫くの間、ご紹介してみます。
・あなたからの書簡に接して、全国民と共に大いに満足している。
・あなたの長旅、暴風にあわれたりして、さぞお疲れのことでしょう。
・日本に着いたからには、皆して歓待します。
・あなたには、直ぐ江戸にまで出てきてください。
・あなたは、何でも自由に振舞ってください。
・あなたが、江戸に来るまでの総ての費用は将軍が用意します。
まあ、ざっとこんな内容だったと書いてあります。之を読みますと、ビスカイノのイスパニアに対してあまりにも寛大すぎるのではないかとも思われますが、そこら辺りの江戸幕府の記録はないので、詳らかなる事は分かりまけますが、もうとっくに諦めかけていた金銭が急遽返却されること知った幕府の役人たちがイスパニアを十分信用する気に変っていたのかもしれませんね。
どう思われますか?????
まあ、それはともかくとして、このような秀忠からの許可書を貰ったビスカイノは、17日朝、その隋員三十名と日本人の遭難者数人と一緒に「舟5艘」で江戸に上ります。
舟と書いていますので、日本の幕府か水戸藩が用意したものでしょう。
ちょっと変わったヨーロッパ人のお江戸入りの様子を詳しく記録しています。それを、暫くの間、ご紹介してみます。