1611年3月19日に、メキシコのアカプルコから日本に向って、ビスカイノの船は出発します。その時、この船には、太平洋上で遭難なしていて、救助していた日本人を本国に送還させるために乗せておりました。
なお、この航行の最中に、イスパニア船員と日本人との間に、食事の事で暴力に訴える争いが起ります。それを見たビスカイノは直ちに「両者は衝突し論争すべからず」と命令を発します。
「若し争う者あらば之を調査し、船首の帆桁に吊して絞殺し」
と、忠告を与えたそうです。その結果は、
「是に於て、日本人等は大いに怖をなして手を収め其傲慢を抑へたれば羊よりも温和となりたり」だそうです。
「特に首領(田中勝介)は身分があり大に尊敬されたる日本人なりしが故に、全航海中少しも迷惑を掛けず」
とありす。又、彼の話しでは「日本の皇帝もイスパニア人を歓迎厚遇せる」とのこと。大いに喜んで航海したと、この報告書には書かれています。
なお、この航行の最中に、イスパニア船員と日本人との間に、食事の事で暴力に訴える争いが起ります。それを見たビスカイノは直ちに「両者は衝突し論争すべからず」と命令を発します。
「若し争う者あらば之を調査し、船首の帆桁に吊して絞殺し」
と、忠告を与えたそうです。その結果は、
「是に於て、日本人等は大いに怖をなして手を収め其傲慢を抑へたれば羊よりも温和となりたり」だそうです。
「特に首領(田中勝介)は身分があり大に尊敬されたる日本人なりしが故に、全航海中少しも迷惑を掛けず」
とありす。又、彼の話しでは「日本の皇帝もイスパニア人を歓迎厚遇せる」とのこと。大いに喜んで航海したと、この報告書には書かれています。