「十九日に四日市を出て泉川を越えて往時を思えば・・・」と道中記に書かれています。泉川という小さな川を越えて入ったのだと思えますが、その後の「往時を思えば」と書いているのですが、それが何を意味するのかはよく分かりません。
その日は坂下で泊ります。
此の坂下があの鈴鹿馬子歌に出てくる
「坂は照る照る、峠は雲る、あいの土山雨が降る」
です。
昨日書いた「庄野」ですが、池田綱政とは何ら関係はないのですが、よく調べて見ると、この地には、あの蝦夷征伐の途中で亡くなられた日本武尊の「白鳥塚」と呼ばれるご陵がある所だそうです。この日本武尊の御母は播磨稲目大郎媛で、日本武尊の副将を務めた吉備武彦の伯母に当る人です。だから、この庄野は、吉備の国とは深い縁で結ばれている土地でもあるのです。
綱政侯が「往時を思えば」と書いているのは、もしかして此の事かもしれないと思ったりもしますが??????
その日は坂下で泊ります。
此の坂下があの鈴鹿馬子歌に出てくる
「坂は照る照る、峠は雲る、あいの土山雨が降る」
です。
昨日書いた「庄野」ですが、池田綱政とは何ら関係はないのですが、よく調べて見ると、この地には、あの蝦夷征伐の途中で亡くなられた日本武尊の「白鳥塚」と呼ばれるご陵がある所だそうです。この日本武尊の御母は播磨稲目大郎媛で、日本武尊の副将を務めた吉備武彦の伯母に当る人です。だから、この庄野は、吉備の国とは深い縁で結ばれている土地でもあるのです。
綱政侯が「往時を思えば」と書いているのは、もしかして此の事かもしれないと思ったりもしますが??????