私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

舞阪より船で

2010-04-06 09:37:47 | Weblog
 「たびたヽずはあらずかしとおぼゆ」と、綱政侯は舟に乗ります。
 「急て程なき仮寝ながら、身もくるしくやありなん、おもほへずまどろみぬうちに白須がに着ぬ。・・・」


 16日の歌紀行では、綱政侯はこう書かれています。

 これについて、又、寶泥氏からメールです。

 「おめえが きのうけえとったもんのなけえのう〈急て程なき・・・〉ちゅうもんがあったろうが。こりゃーなんとよみゃあえんだ」と、いうのです。

 「急て」。待てよ、そんな字を書いたかなと読み返してみました。確かにありました。何と読めばいいのでしょうか。書いた私もその時には何気なく、そんな読み方なんてあまり気にもかけずに、迂闊にも、書いただけでした。「キュウテ」でもないし、「イソイテ」?、何となくおかしいし。どう読むんでしょうかね。
 

 それこそ(急で)漢和辞典を取り出しました。
 辞書には何やかやとその意味が説明してありました。
 〈かたくな〉〈さしせまった〉〈ゆとりがない〉〈にわか〉(きびしい〉〈あぶない〉〈ひきしまる〉〈けわしい〉などと。
 
 「漢字」と言うものは、本当に面白いものですね。欧米の文字では、こんな感じは決して起きないと思います。漢字を使える我々日本人は、改めて「幸せ」だと思えます。韓国あたりでも、ハングルだけでなく、もう少し漢字を使おうじゃないかと言う運動が起き出したと、つい最近の新聞に報じられていましたが、まんざら突拍子でもない、朝鮮の人たちのいつわりのない気持ちではないかと思えます。漢字を共有している民族みんなが持ってい今日的な意識ではないでしょうか
 感じを大切にした漢字の持つ魅力だと思います。
 「急」と言う字から、見ただけで、何となしに、差し迫ったゆとりのないあぶなかしい状態が目の前に自然と浮かび上がって来るから不思議ではありませんか。中国人であろうと朝鮮人であろうとベトナム人であろうと共通の意識ではないかと思います。
 
 さて、この「急て」は「セイテ」と読むのだそうです。あの“せいては事をしそんじる”の「セイテ」なのだそうです。

 今日はちょっと漢字のお勉強で・・・・・お粗末でした。御意見を賜りたいのもです。