私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

弥次さん喜多さんのはなし

2010-04-14 20:10:49 | Weblog
 今日もまた横道ですが、舟で使う小便用にと、宮宿の亭主が渡してくれた竹の筒を使う場面を一九は面白可笑しゅう、この膝栗毛に書いています。
 

 弥次さんは、船中で居眠りをしていたのですが「時に小便がもるようだ」と、目を覚まします。そして、おもむろに例の竹の筒を取り出します。まさか竹の先に穴があいているとは思わないで、「しびん」のようなものと思い込んで、舟の舷(ふなばた)に置いて、
 「直に竹の筒へしこみければ、先の穴より小便が流れ出して舟中小便だらけとなり・・・」
 
 と、そんなこんなで舟中が大騒ぎになります。竹の中にまだ小便が残っていてぽたぽた落ちています。それを見た船頭が
 「それもほかしてしまわせへな」
 と言う。それを聞いて弥次さん
 「これは火吹竹になろうからそっちへやろふ」
 
 舟のみんなは「臭え臭え」といいながらも、それでもどうにか桑名に着きます。四時間ぐらいの舟旅だったらしいのです。こんなばんぐるわせがいつもある旅でした。

 本当は、弥次さんが使った竹の筒は、舟からその先を海に差し出して、その中にするのだそうです。すると、小便は海に流れ出て、普通はこんな騒ぎにはならないのですが、滑稽本です。面白可笑しゅうするための一九の工夫だったようです。

 この話の中で。小便が舟中に流れ出した時、それを見て船頭が
 「誰じゃやいぞ、小便をしたのは、船玉様がけがれる、はやうコレふかつせいな」
 と、怒る場面が出てきます。
 これからも分かるように、どんな船にも、必ず、船には守り神が祭られていたのです。その神様の名前がここに出てくる「船玉様」なのです。
 どうも、この神様、女性らしいのだそうです。昔から「女性を舟に乗せてはならない」と言われていましたが、そのわけは、どうも、この船玉様と言う神様の正体が女性だったというのです。ですから同姓の女性を載せると、この神様が嫉妬して、船の安全を脅かすからだとも言われています。
 「たま」は霊・魂が元々であったのが、難しいので簡単な「玉」がよく使われているのだとも。

 昨日、井上ひさしが死去されていますが、この人も日本語についてかなり深い関心を持たれて文章を構成されていたと言われますが、十返舎十九も相当な日本語に対する研究をしていたのではと思われ、多くのうんちくのある言葉に出くわします。