「一八日、宮より舟にのりて海上を渡るに、しぐれふる・・・」
喜多さんたちと同じように、岡山藩の一行もやはり宮から船に乗ったのでしょう。千石船でしょう。
普通なら宮から出る舟の行き先は桑名なのです。この間の距離が六里あったので、ここを「六里の渡し」と言ったのだそうですが、もう一つ、直接四日市に渡る船便もあったのだそうです。大名行列の旅がほとんどだったのかどうかは分かりかねますが、綱政侯の船は直接四日市に渡り、そこで泊っています。
どのような船旅であったかと言う詳しい様子は何も書かれてはいません。
弥次さん喜多さんの旅では、此の船旅の間に、桑名の焼きハマグリなどの物売りの船が付いてきて商売をしていたのですが、まさか大名の船にはそんな物売り船が艫をくっつけて商売をするようなことがあるわけもありません。
そことなく あをの海原 かきくらし
しぐるる空に つづく白波
喜多さんの小便事件のような何も面白ろおかしな話もなんにもない、浪より雲の出るような、周りはしぐれる海と白波のほか何も見えない旅だったのでしょうか。
此の四日市にを広重は、次のような絵に描き表しています。風が吹きすさぶ寂しげな風景にです。
此の絵のような、ただ、風が吹き散らす風景の他、これと言ってほかは何の特色もない殺風景な街だったのでしょうか?
喜多さんたちと同じように、岡山藩の一行もやはり宮から船に乗ったのでしょう。千石船でしょう。
普通なら宮から出る舟の行き先は桑名なのです。この間の距離が六里あったので、ここを「六里の渡し」と言ったのだそうですが、もう一つ、直接四日市に渡る船便もあったのだそうです。大名行列の旅がほとんどだったのかどうかは分かりかねますが、綱政侯の船は直接四日市に渡り、そこで泊っています。
どのような船旅であったかと言う詳しい様子は何も書かれてはいません。
弥次さん喜多さんの旅では、此の船旅の間に、桑名の焼きハマグリなどの物売りの船が付いてきて商売をしていたのですが、まさか大名の船にはそんな物売り船が艫をくっつけて商売をするようなことがあるわけもありません。
そことなく あをの海原 かきくらし
しぐるる空に つづく白波
喜多さんの小便事件のような何も面白ろおかしな話もなんにもない、浪より雲の出るような、周りはしぐれる海と白波のほか何も見えない旅だったのでしょうか。
此の四日市にを広重は、次のような絵に描き表しています。風が吹きすさぶ寂しげな風景にです。
此の絵のような、ただ、風が吹き散らす風景の他、これと言ってほかは何の特色もない殺風景な街だったのでしょうか?