私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている 30

2008-10-23 08:21:09 | Weblog
 ただ、書紀には「皇子大津を譯語田(をさだ)の舎(いえ)に賜死(みまからしむ)」と書いてあります。
 死を賜る少し前でしょう、大津皇子は身に迫る死をいかにすべきか、伊勢神宮の斎宮の姉に秘密裡に会いにいって相談しています。
 そこらあたりの様子が万葉集に出ていますので紹介します。
  大伯皇女は大津皇子が再び大和に帰る時に歌っています

・我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁(あかとき)露に我が立ち濡れし

【私の弟を大和へ帰すというので、夜が更けて、暁まで立ち尽し、私は露にびっしょり濡れた】

 ・二人ゆけど行き過ぎかたき秋山をいかにか君が独り越ゆらむ(万2-106)

【二人して行っても通過するのが困難な秋の山を、どうやってあなたが独りで越えて行くというのだろうか】

 大津皇子の歌も載っています
 
 ・ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ
【磐余の池に鳴く鴨を見ることは今日までか。私は死んでいくんであろうな。】
 
 と、辞世の歌があります。10月3日です。

 11月16日に伊勢神宮斎宮であった大伯皇女は奈良に帰ってきます。
 その時の歌も、また出ています。
 
 ・神風(かむかぜ)の伊勢の国にもあらましを何しか来けむ君もあらなくに

【伊勢の国にいたほうがよかったのに、どうして私はのこのこやって来たのだろう、あなたはいもしないのに】


 ・見まく欲(ほ)り我(わ)がする君もあらなくに何しか来けむ馬疲るるに

【私が見たいと思うあなたはいもしないのに、どうしてやって来たのだろう、馬が疲れるだけなのに】


 ・うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟背(いろせ)と我(あ)が見む)

【現世に留まる人である私は、明日からは、二上山を我が弟として見よう】


 ・磯の上に生ふる馬酔木(あしび)を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに

【岩のほとりに生える馬酔木を手折ろうとしても、それを見せるべきあなたがいると、世の人の誰も言ってくれないではないか】

 大津皇子と姉・大伯皇女の悲劇です。
 明らかに、「行心」という妖しいげなる売僧(まいす)を利用した、すべて鵜野皇女の画策と考えられています。奇怪な歴史の一ページでもあり、大伯という吉備の海の上で生まれた一女性の哀詞でもあります。
 吉備とは何なら関係のないことですが、付録的に書いてみました。