私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている 16

2008-10-08 16:55:38 | Weblog
 「黒日売」のことは古事記に見えまが、「兄媛」はありません。それに対して日本書紀には「兄媛」のことは見えど、「黒日売」の話はなし。
 同じ日本の古代の世界を記している正史にさへ、漢文と万葉仮名を使った和文という字の違いの他に、このような記してある内容にも違いが見えます。
 この二つ、どうして違った内容になったのかいろいろの人が推察ししています。
 その一つを紹介します。本居宣長の説です
 「古事記伝」の中で、宣長は、この黒日売の名は日本書紀には見られず、それに代わって丹波の桑田に玖賀媛が見えます。太安万侶が、この玖賀媛を黒日売とばかり思って覚えていたのではと言っておられます。
 日本書紀によると、やはり玖賀媛も仁徳天皇に見染められて結婚しようとしたのですが、大后の嫉妬にあって結婚できなかったと書かれています。黒(くろ)と玖賀(くが)も、発音も似ているし、そんな間違いが起きたのではと推測しています。

 まあ、どちらにしても、この二つの話は、吉備の美女と天皇との恋物語で、どちらの天皇も小豆島などをめぐって吉備の国に行幸されています。これも“深く疑うに非ず”で、それぞれの話をあったものとして素直に考えたほうが良いのかも知れません。
 でも、吉備には当時美女がたくさんいたということだけは確かなことだと思います。
 
 ここまでの吉備は、大いに栄えて正史に記されている歴史ですが、そんなには吉備の隆盛は続きません。この仁徳天皇以降は次第に中央がら姿を消し忘れられた歴史が展開されていきます。
 それについては次で書きます。