ただ、書紀には「皇子大津を譯語田(をさだ)の舎(いえ)に賜死(みまからしむ)」と書いてあります。
死を賜る少し前でしょう、大津皇子は身に迫る死をいかにすべきか、伊勢神宮の斎宮の姉に秘密裡に会いにいって相談しています。
そこらあたりの様子が万葉集に出ていますので紹介します。
大伯皇女は大津皇子が再び大和に帰る時に歌っています
・我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁(あかとき)露に我が立ち濡れし
【私の弟を大和へ帰すというので、夜が更けて、暁まで立ち尽し、私は露にびっしょり濡れた】
・二人ゆけど行き過ぎかたき秋山をいかにか君が独り越ゆらむ(万2-106)
【二人して行っても通過するのが困難な秋の山を、どうやってあなたが独りで越えて行くというのだろうか】
大津皇子の歌も載っています
・ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ
【磐余の池に鳴く鴨を見ることは今日までか。私は死んでいくんであろうな。】
と、辞世の歌があります。10月3日です。
11月16日に伊勢神宮斎宮であった大伯皇女は奈良に帰ってきます。
その時の歌も、また出ています。
・神風(かむかぜ)の伊勢の国にもあらましを何しか来けむ君もあらなくに
【伊勢の国にいたほうがよかったのに、どうして私はのこのこやって来たのだろう、あなたはいもしないのに】
・見まく欲(ほ)り我(わ)がする君もあらなくに何しか来けむ馬疲るるに
【私が見たいと思うあなたはいもしないのに、どうしてやって来たのだろう、馬が疲れるだけなのに】
・うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟背(いろせ)と我(あ)が見む)
【現世に留まる人である私は、明日からは、二上山を我が弟として見よう】
・磯の上に生ふる馬酔木(あしび)を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに
【岩のほとりに生える馬酔木を手折ろうとしても、それを見せるべきあなたがいると、世の人の誰も言ってくれないではないか】
大津皇子と姉・大伯皇女の悲劇です。
明らかに、「行心」という妖しいげなる売僧(まいす)を利用した、すべて鵜野皇女の画策と考えられています。奇怪な歴史の一ページでもあり、大伯という吉備の海の上で生まれた一女性の哀詞でもあります。
吉備とは何なら関係のないことですが、付録的に書いてみました。
死を賜る少し前でしょう、大津皇子は身に迫る死をいかにすべきか、伊勢神宮の斎宮の姉に秘密裡に会いにいって相談しています。
そこらあたりの様子が万葉集に出ていますので紹介します。
大伯皇女は大津皇子が再び大和に帰る時に歌っています
・我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁(あかとき)露に我が立ち濡れし
【私の弟を大和へ帰すというので、夜が更けて、暁まで立ち尽し、私は露にびっしょり濡れた】
・二人ゆけど行き過ぎかたき秋山をいかにか君が独り越ゆらむ(万2-106)
【二人して行っても通過するのが困難な秋の山を、どうやってあなたが独りで越えて行くというのだろうか】
大津皇子の歌も載っています
・ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ
【磐余の池に鳴く鴨を見ることは今日までか。私は死んでいくんであろうな。】
と、辞世の歌があります。10月3日です。
11月16日に伊勢神宮斎宮であった大伯皇女は奈良に帰ってきます。
その時の歌も、また出ています。
・神風(かむかぜ)の伊勢の国にもあらましを何しか来けむ君もあらなくに
【伊勢の国にいたほうがよかったのに、どうして私はのこのこやって来たのだろう、あなたはいもしないのに】
・見まく欲(ほ)り我(わ)がする君もあらなくに何しか来けむ馬疲るるに
【私が見たいと思うあなたはいもしないのに、どうしてやって来たのだろう、馬が疲れるだけなのに】
・うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟背(いろせ)と我(あ)が見む)
【現世に留まる人である私は、明日からは、二上山を我が弟として見よう】
・磯の上に生ふる馬酔木(あしび)を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに
【岩のほとりに生える馬酔木を手折ろうとしても、それを見せるべきあなたがいると、世の人の誰も言ってくれないではないか】
大津皇子と姉・大伯皇女の悲劇です。
明らかに、「行心」という妖しいげなる売僧(まいす)を利用した、すべて鵜野皇女の画策と考えられています。奇怪な歴史の一ページでもあり、大伯という吉備の海の上で生まれた一女性の哀詞でもあります。
吉備とは何なら関係のないことですが、付録的に書いてみました。
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