私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている 15 山縣はいずこ

2008-10-07 22:02:55 | Weblog
 再び黒日売についてです。
 古事記によりますと、吉備海部直の娘ということになっています。この吉備海部直ですが、吉備津神社の社伝によりますと、神殿内の外陣の隅に4つの御崎宮が祭られています。温羅が祀られている艮御崎神社の隣には巽御崎神社(東南の隅)がありま。ここの祭神が吉備海部直の祖である櫛振が祀られているという。どうもこの櫛振と関係がありそうなのです。当時、地方の豪族の娘が采女として天皇の御側に上がっていました。黒日売もそのうちの一人だったのです。この采女から、それまでに妃に上がった人が多くいました。
 仁徳天皇もそうした黒日売を見染めたのです。
 その黒日売が吉備に帰った後、どうしても会いたくなり、大后石之日売命をだまして、淡路島に行幸するとうそをついて吉備に行幸されています。
 その時詠んだ歌“山縣にまける青菜も吉備人と共にし摘めば楽しくもあるか”があります。
 この「山縣」はどこにあるのか、今も論争が絶えません。いろいろな人が詮索していますが、定説がありません。
 私のその論争に加わり「山縣」を足守の「山上」であるのかもしれませんと説明していましたが(美女シリーズ)その後、その山上を訂正して、また違う新しい説を考えてみました
 というのは、吉備海部直という言葉に注意したからです。吉備海部直というと吉備の海岸部を支配した一族をどうしても考えます。
 吉備海部直は吉備津神社の外陣に祀られています。この一族は、吉備の中山の東南部に勢力をのばしていた豪族であった可能性が高いのです。一宮あたりに勢力をのばしていた難波氏の先祖あたりと考えられます。
 今も吉備津彦神社のすぐ側に山神というがありますが、仁徳天皇か御詠みになった山縣は、もしかして、この山神をいうのかもしれないと、誰も唱えてない私一人の説ではなかろうかと、勝手に悦に入っています。