部について考えてみます。
① 温羅の首を曝したところが首部です。この字を「こうべ」とはちょっと読めそうもありませ。
この部とはなんでしょう。
古代の日本において特殊な職業に従事する人たちの集団を部と呼んでいました。例えば、軍事専門の人々の集団を物部、稲作専門の人たちの集団を田部、その他、建部、犬甘部、土師部、八部など職業によってそれぞれの部に分かれていました。その数は300ぐらいあります。
でも、その中に、この首部はありません。
これが、果たして、古代の部の名残なのでしょうか。たくさんの部の中から「こうべ」と読めそうなものを探し出してみました。
「神部」と「馬飼部」からそれとよく似た読み方を見つけました。
まず、神部です。「かんべ」と呼んでいます。これが「かうべ」に変わったのではないかと思うのです。
もう一方、馬飼部は、また、「飼部」(かいべ)などと書かれたものが出てきます。すると、この「かいべ」が「こうべ」に変わったのではとも思われます。
まあ、いずれにしても、何らかの形で、この地方が吉備津神社と関係があったのではないかと思われます。ちなみに、首部にか「白山神社」があります。そのあたりに何かヒントが隠されているのかもしれません。
ただ話に伝わるだけで、何らかの関係がありそうなのですが歴史は何も伝えてくれてはいません。
② 吉備の部についてもうひとつ。
吉備には、他の国にはない部があります。それは上古のことを語り継ぐ人々の集団「語部」です。
これは吉備が王国だったという大切な証拠です。雄略以前には、独立した強大な倭の一つの王国だったということを物語ったているのです。
語部があったから、温羅も首部の話も今に伝わっているのです。大和、出雲、北九州などの強大な王国を作っていたところにだけしかない部です。
① 温羅の首を曝したところが首部です。この字を「こうべ」とはちょっと読めそうもありませ。
この部とはなんでしょう。
古代の日本において特殊な職業に従事する人たちの集団を部と呼んでいました。例えば、軍事専門の人々の集団を物部、稲作専門の人たちの集団を田部、その他、建部、犬甘部、土師部、八部など職業によってそれぞれの部に分かれていました。その数は300ぐらいあります。
でも、その中に、この首部はありません。
これが、果たして、古代の部の名残なのでしょうか。たくさんの部の中から「こうべ」と読めそうなものを探し出してみました。
「神部」と「馬飼部」からそれとよく似た読み方を見つけました。
まず、神部です。「かんべ」と呼んでいます。これが「かうべ」に変わったのではないかと思うのです。
もう一方、馬飼部は、また、「飼部」(かいべ)などと書かれたものが出てきます。すると、この「かいべ」が「こうべ」に変わったのではとも思われます。
まあ、いずれにしても、何らかの形で、この地方が吉備津神社と関係があったのではないかと思われます。ちなみに、首部にか「白山神社」があります。そのあたりに何かヒントが隠されているのかもしれません。
ただ話に伝わるだけで、何らかの関係がありそうなのですが歴史は何も伝えてくれてはいません。
② 吉備の部についてもうひとつ。
吉備には、他の国にはない部があります。それは上古のことを語り継ぐ人々の集団「語部」です。
これは吉備が王国だったという大切な証拠です。雄略以前には、独立した強大な倭の一つの王国だったということを物語ったているのです。
語部があったから、温羅も首部の話も今に伝わっているのです。大和、出雲、北九州などの強大な王国を作っていたところにだけしかない部です。