私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている 6

2008-09-27 21:07:59 | Weblog
 吉備を代表する「桃太郎」のお話しはご存知と思います。
 岡山だけでなく讃岐など他の地方にも、桃太朗伝説あるようですが、やはり、桃太郎」と言えば、直ぐ「きびだんご」の岡山を思い起させます。
 どうして鬼退治に「桃」が引っ付いたと思われますか。
 古事記に伊邪那岐命が愛する妻を失って黄泉の国に逢いに行く話が出ています。黄泉でこっそりと見た伊邪那美命の余りの醜さに驚いて伊邪那岐命が逃げ帰ります。怒った伊邪那美命は「豫母都志許売(よもつしこめ)」に追わしたのです。
 この豫母都志許売というのは黄泉の国の鬼だそうです。志許売(しこめ)というのは醜女の事ですが、これは姿形がおそろしく醜くて鬼のような女だそうです。とにかく掴まったら食い殺される事は明らかです。だから、伊邪那岐命は懸命に逃げるのです。
 伊邪那岐命が逃げる時に、まず、頭に載せていたカツラの蔓(かずら)を、次に櫛をなげつけます。それでも、なお、襲用に追って来る鬼達から懸命に逃れます。最後に桃の実を3こ投げつけます。するとどうでしょう、追い来る醜女は一斉にどうしたことが追うことを止め、黄泉の国へ我先にと逃げ帰ります。
 最後に投げつけた桃の実には醜女の鬼達を悉く逃げ帰えすだけの魔力があったということです。見ただけで逃げ帰ったのですから。

 この例から、この世の鬼を退治できるのは「桃」しかないのです。だから桃太郎なのです。梨でも栗でも柿でもない、桃しかないのです。それと黍、即ち、吉備が結びついて、更に、吉備津彦命の話が入り混じって、桃太郎の話が出来上がったのです。
 現代の白桃に代表される桃の里として、その昔からこの吉備地方が黍と共に有名だったということは間違いありません。


 それは兎も角として、今年の桃は近年にない最高級品が出来上がりました。太陽と土と栽培人の心というか気が作り上げた最高傑作の作品に仕上がりました。芸術品そのものです。作品です。芸術品は人の腕だけで作り上げますが、農産物だけは人の腕だけでは決して作りえません。自然というか神の心がなかったら決して作ることは出来ません。芸術品以上の品物だと思っています。
 今年は初めて、妹の依頼を受けて、東京の彼女の知り人にも送りました。絶賛の言葉を貰いました。
 「こんなのに美味しい果物って生まれて初めてよ。最高よ」
 と。
 なお、念のために、私が桃を作っているわけではありません。知り人が丹精込めて、吉備高原で汗しながら、それこそ一生懸命に作り上げてくれます。太陽の恵みを頂いてというか、常に神に感謝しながら。それだから余計に美味しいのです。