私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「おせん」を終えて

2008-09-05 10:01:12 | Weblog
 さくらが漸く開花の気配を見せた3月の終わりごろから、わが山神様にある真鍮製のご幣の台座の裏側に記されている“嘉永元年九月、大坂古広町ふなきや内 おせん18歳 大願成就 足立 無夫”という言葉だけを頼りに物語を書き込んできました。
 このおせんという18歳の女の人がどのような運命を受けて、何のために、こんな片田舎の、それも名もない、吉備津様ではない、吹けば飛ぶようなちぃっぽけな山神様に、当時としては高級な金属製(真鍮製)のご幣を奉納したのか、側にある謎の記号みたいな木の札と共に謎が深まるばかりでした。古老に尋ねても誰も知る人だにいません。
  
 そこで、おせんさんの思いを私の胸の中に想像させながら拙い文章にしてみたのです。当初できれば150,000字程度の文にと思っていたのですが出来上がってみれば、結局、136,000字になりました。
 途中で、もっともっと極悪人を作り上げて話に幅のあるものにしようかとも思えたのですが、私が作り上げたおせんさんという作中人物の思いに同情して、私自身が負けてしまい、というより、これ以上おせんを苦しめないでという思いが私の心に突如として浮かび上がりました。そこで、極悪人ではなく、ごく普通の悪人というか、封建社会では当たり前の自分の職務に忠実なだけの当たり前の官吏としての職責を果たしただけの悪とは言えないような姿にしか描くことが出来ませんでした。そのほうがより現代風ではないかとも考えながら作り上げていきました。
 書くという事は難しいことです。私自身の思いどうりに書けないのです。私自身が作り上げた作中人物の心に私自身が負けてしまい、極悪人を作り上げて、作中人物を、おせんをです、徹底的に苛め抜くことが出来ないのです。だから、結末もまあまあ、これって何だと、いうぐらいにしか終わらせることが出来ませんでした。
 もうちょっとおどろおどろしい結末であってもいいように思えましたが。

 まあこれでひとまず「おせん」は、終了です。一方、「わが町吉備津」も、書き始めてから二年半近くもなり、書く材料も次第に少なくなってきましたので、後数回で終了したいと思っています。
 これまで多くの人たちに読んで頂きました、一日に平均して130~40人の人に、目を通していただけたのではないかと思います。ありがたいことだと思いながら、毎日続けました。
 また、いつか書く材料がそろいましたらと思っています。