私の町 吉備津

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長寿の話 5 住吉大社の祭られている神功皇后

2008-09-16 11:30:18 | Weblog
 吉備津神社氏子会では毎年9月15日に研修旅行に出かけます。厳島神社、大神神社、出雲大社などに参りました。今年は摂津の一宮でもある住吉大社への正式参拝です。
 このお宮もまた吉備津神社と同様に国宝に指定されており、神官の説明によりますと、神殿には底筒男命・中筒男命(写真)・表筒男命・底筒男命・神功皇后の4柱の神をお祭りしてあるそうです。底筒男命(そこつつのおのみこと)などの神は伊邪那岐神が禊した時に生まれた神だそうです。神功皇后は仲哀天皇の皇后で、この神を厚く信仰していたので神として祭られるようになったと言い伝えられてます。
 なお、余談ごとですが、仲哀天皇は熊襲征伐の時、敵の矢に当り52歳でお亡くなりになられ、その後、お子様の応神天皇が即位されるま69年間、神功皇后が国の政務をお担いなられ、100歳で崩御されています。

 どうでもよいことなのですが、ちょっと横道に反れ、また、私の独り言を言います。
 というのは、「摂津のすみよしさん」と「吉備のきびつさん」の関係についてです。
 ここにお祭りされているという神功皇后の夫君14代仲哀天皇は、実は日本武尊のお子様なのです。この日本武尊は、12代景行天皇と播磨稲目大郎女(皇后さなです)の間にお生まれになった皇子です。ということは、仲哀天皇の祖母は、当然、播磨稲目大郎媛ということになります。神功皇后からすると義理のおばあさまに当るお人です。
 ここで、「摂津のすみよしさん」と「吉備のきびつさん」の関係について知ろうと思えば、どうしても、この「播磨稲目大郎媛」という女性はだれかを知る必要があります。
 播磨稲目大郎媛という人は、吉備津彦命と一緒に吉備に派遣した弟の若日子建吉備津彦命の媛なのです。吉備で生まれて吉備で育った媛なのです。この媛の弟、吉備武彦命が日本武尊の蝦夷征伐の副将となっています。また、この人の娘である吉備穴戸建媛が日本武尊の妃にもなっています。神功皇后から言えば沢山おられるのですが義理の母親でもあります。吉備武彦命は吉備津神社の新宮にお祭りしてあります。

 このような関係から考えるとだから、神功皇后をお祭りしている住吉神社と若日子吉備津彦尊をお祭りしている吉備津神社とは、お互いに深く関わりのあるお宮さんでもあるのです。誰もそのことには気付いてはいませんが

 古い古い本を紐解くと、こんなどうでもよいようなことまでもが分り、大いに自己満足のような日を送ることができます。敬老の日は過ぎましたが、何もすることがない日かな一日の老人にとっては楽しい時を過す事が出来ます。