私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

長寿の話 8 吉備建彦命

2008-09-20 10:57:53 | Weblog
 吉備の国の古代史もそうですが、当時の歴史書を紐解いてみますと、昨日お話したように、読む者をして、この名前は前に出ていたのにと、迷わしめるようなややこしいよく似たような名前があちらこちらから顔を覗けています。若建吉備津彦命と吉備武彦命もそうです。

 まあそれは兎に角として、吉備の国の長寿の人を、記紀や氏姓録等の本から拾ってみたのですが、最後になりましたが「吉備津武彦命」を取りあけなければば、話が終わりません。
 それだけ、天皇の大和政権と吉備の王権とが深いつながりにあったことを物語る貴重な資料にもなるのです。

 さて、吉備武彦命も若日子建吉備津彦命の子であるとする日本書紀に従いますと、即ち、播磨稲目大郎媛とご姉弟になります。すると、景行天皇妃になられた大郎媛と同じように、そのお子日本武尊の蝦夷征伐の時に副官になっていますが、その時の御歳は、優に三百歳を越えていたと考えねばなりません。
 ちなみに「氏姓録」では、若日子武吉備津彦命の孫だと書いて、調整を取っています。
 なお、藤井駿先生の「吉備津神社」(岡山文庫52)には、
 「若日子建吉備津彦命の子に御鉏友耳建日子命がある。その子に吉備武彦命があった」
 として、年齢的に整合させております。

 まあ、それでも驚くような年齢です。わが町吉備津と関係のある古代の歴史的な人物を年齢的に見た人物像を紹介しました。2~3人と思っていたのですが8回のシリーズになりました。

 これで「私の町 吉備津」も“the end”にと思っていたのですが、長寿の記録を日本書紀から探していますと、この他、私の知らない吉備の国に関するおもしろい歴史が見つかりました。それもついでに紹介してみたらという、メイユウの意見にも従って、あと少しの間書き続けていきたいと思います。引き続き見ていただければ幸いです。
筆者biryo