今朝の新聞で、大江健三郎さんが
「・・・は穏当でない言い方をしていられますが・・・」
と、いう詞をお使いになって、現代の「悦ばしい知識」という一文を書かれていました。
私みたいな知識の乏しい者であれば、この「いられます」は、「おられます」と書きます。大江さんの詞に対する特別な思いがあったからこそ『い』という文字をお使いになったのだと思いながら読ませていただきました。
この詞について、高尚先生もまた格別な思いをお持ちになってお使いになっていられます。
「『人をわかる』というのは、自分は其処に留まったいて、人の別れ行く時に使う言葉であるから、『人に』とは言わない。
また、『女のあへる』というのは、どこからかゆくりなく(思いがけなく、突然に)来て出会った時のことだから、『女に』とは言わない。
昔の人の詞づかいは、このように何時も正確に書き表しています。」
と。
私事(ひとりごと);
「日本語が乱れて来ている」と、もう随分昔から言われているようですが、我々が日常使っている言葉を後世に残しておくように努めるのも我々年寄り役目ではないでしょうか。方言も、又、大切な文化財なのだと思って、大いに岡山弁を、孫達との会話に、家人からは、やいのやいのと言われ続けていますが、頑なに私々しています。
なお、これは私の勝手な解釈ですが、『おられます』より『いられます』の方が若干なにか丁寧な言い方のような感じがしますがどうでしょう。