昨日の「あら捜し」の答えは、この絵が描かれている像の吉備津彦命のお着物の着方が現代と同じで、「右衽」なのです。これは、高尚先生を出すまでもなく、明らかなミスです。
昨日の絵は、横山大観の描いた「神武天皇像」です。この絵からでも、当時の日本人の風習は「左衿」だったことが分ります。
さらに、これこそ「神代の日本の風俗習慣をそのままに表しているものだ」と、思われるものに「埴輪」があります。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/c7/b07ce6e91663714beb983e840d3b663e.jpg)
ちゃんと左衿になっています。同じモニュメントを作るなら、こんな図柄のようなものにして欲しかったと、私は思っています。
ついでに、この記念碑について、もう一つ言いたい事があります。それは、この像には「まほろばの里 高松』という字が金色に輝いています。でも、ここは「吉備津」なのです。「高松」とは、その時代にもその背景にも、雲泥の格差があります。高松と吉備津では、その言葉が醸し出す意味が全然違うのです。決して「高松」と「吉備津」とは同一視出来ない内容の重みの差異があるのです。そんなことがこの像を設置した人たちにはお分かりに成らないのだとも思いました・・。
そんな事を思いながら、新しく出来上がりつつある師走の雨の県道を、車で走り抜けてみました。
蛇足;現代のきもの
昨日の絵は、横山大観の描いた「神武天皇像」です。この絵からでも、当時の日本人の風習は「左衿」だったことが分ります。
さらに、これこそ「神代の日本の風俗習慣をそのままに表しているものだ」と、思われるものに「埴輪」があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/c7/b07ce6e91663714beb983e840d3b663e.jpg)
ちゃんと左衿になっています。同じモニュメントを作るなら、こんな図柄のようなものにして欲しかったと、私は思っています。
ついでに、この記念碑について、もう一つ言いたい事があります。それは、この像には「まほろばの里 高松』という字が金色に輝いています。でも、ここは「吉備津」なのです。「高松」とは、その時代にもその背景にも、雲泥の格差があります。高松と吉備津では、その言葉が醸し出す意味が全然違うのです。決して「高松」と「吉備津」とは同一視出来ない内容の重みの差異があるのです。そんなことがこの像を設置した人たちにはお分かりに成らないのだとも思いました・・。
そんな事を思いながら、新しく出来上がりつつある師走の雨の県道を、車で走り抜けてみました。
蛇足;現代のきもの
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/cb/810b723170217055d302067b6623da5f.jpg)